猫のイラスト
rakurakutown.com旅の楽々タウン
伊豆熱川の海

温泉旅館物語

水が合うという言葉があるが、温泉旅館勤めのネヲンにはお湯があったのだろう。毎日が楽しくてしかたがなかった。もしかしたら、自分自身では気がつかなかった「水商売の適性」があったのだろうか。

青雲閣の露天風呂
伊豆大島を望む大きな露天風呂

ちなみに水商売の適性者とは、芯の部分に「真面目さ」というものを持っていて、あとは分厚い「いい加減さ」を身にまとっている人である。水商売の世界では真面目さが勝った人は行き詰ってしまうし、いい加減な人は、どぶ川の澱みのはてに流されてしまう。

晩秋の風景

秋の新婚旅行シーズンが終わりに近づくと、熱川バナナワニ園に隣接する東海バスの熱川営業所に着く定期観光バスから降りる新婚さんの姿がめっきりと少なくなる。旅行シーズンの終わりを告げる晩秋の風景となる。

年も押し詰まったシーズンの最後にやって来るお客さんは、同窓会などの年配者たちだった。なんと、このグループの予約方法は宿泊可能日を問い合わせるハガキからはじまる。

宿泊料金を安くしてもらうので、旅館の都合に合わせますという配慮からである。当時のおじいちゃんやおばあちゃんたちは礼節をわきまえていた。安く泊めてもらったお礼にと、売店でたくさんのお土産を買って帰った。そこには、泊ってやるという振舞いはなかった。

今日ような何でもありの温泉旅館業界にした責任は、旅館自身か、観光施設やドライブインか、雑誌やテレビか、はたまた、お客さん自身か旅行業者たちであろうか!?

大掃除

にぎやかな大掃除がはじまる
窓ふき

世間が慌ただしさをます師走も半ば…。しかし、温泉街からお客さんの姿が消えると街じゅうはお正月を迎える準備一色となる。どの旅館の窓という窓に蒲団が干され街じゅうが蒲団で満艦飾となった。

館内では、干した布団をパンパンと小気味よくたたく音、パタパタとはたきをかける音、シュッシュと箒で掃く音、雑巾がけのキュッキュッ…などという大掃除特有の音なき音が響き渡っていた。

なんと当時は、板前さんたちも参加して一部屋に5人もの若者が群がって隅から隅まで磨きあげ全員でお客さんを迎える準備をする。本当の「おもてなしの心」があった時代の話である。

一日の作業を終えると若い従業員達は思い思いに青雲閣の寮へと戻った。この時だけは世間並みに8時間労働であたった。

露天風呂

たった15室の本館の青雲閣は、主に社員寮として使われていたが、わずか10年ほど前には、熱川温泉で3番目という規模を誇った。玄関の奥には濁川を見下ろす大きな露天風呂があった。川向こうの旅館の赤松の植え込みが趣を添えていた。

時代はおおらかであったのか露天風呂からは温泉街の中心、熱川橋がすぐそこに見えた。が、ここは橋からはやや見上げる位置にあったので、湯船のふちで立ち上がらねば裸をさらすようなことはなかった。

男女それぞれの内湯からはともに露天風呂へ出入りができた。露天風呂の出入り口には男女をわける長さ3mほどの小さな堤があり、その上は丸竹をあんだ生け垣風の花壇がしつらえてあったが、ほぼ混浴である。

シーズン中は帰寮の時間もまちまちだったしお客さんもいたので、寮生たちは、そっと浴場を利用して不謹慎なことはしなかった。

しかし、シーズンが終わったという解放感もあるこの季節、寮に戻った若者達の談話の場は風呂場であった。大型テレビが普及するずっと以前のことである。この若い男たちには、この露天風呂でおおいに楽しんだ。

男たちは露天風呂でたわいもない話題で時を過ごした。疲れを知らない若人って素晴らしい!

女風呂
女風呂から笑い声が聞こえた

ある日のある時、リーダー格の番頭さんが人差し指を口に押し付け「静かにしろ」との合図をおくりながら女風呂のほうに目配せをした。

女風呂から笑い声が聞こえたのである。リーダーは、片足で堤防に取り付きガマガエルのような格好で生け垣の隙間から女風呂を覗いた。他の若者も静かに湯をかき分けながら生け垣に取り付いた。男たちのガマガエルのようなうしろ姿は見づらかった。

「コラァー」
「コラァー」

若い男達にとってのこの興奮の劇場も、突然、幕が降りる。露天風呂に面した二階の廊下の窓が勢いよく開けられ「コラー、お前等なにしてる」と、元気な女中さんの一喝で、ザ・エンドであった。男たち湯をバシャバシャとさせながら競ってその場を離れた。

ネヲンはこの劇場には参加しなかった。品行方正だったからではない。近眼だったからである。風呂場ではメガネが湯気で曇って用をなさないので、入浴時にはメガネを部屋に置いてきていた。メガネがとても高価な時代の話である。

参考であるが、覗かれた娘たちの反応には二種類あった。「キャ~」との悲鳴とともにすぐ逃げる娘と「バカ、このスケベ」と反撃する娘である。男性天国の時代であった。これが今の時代であれば死刑に値するだろう。

もうすぐお正月

キダチアロエ
キダチアロエ

キダチアロエの花は冬季に開花する。キダチアロエは万能薬として知られ、また、霜の降りない伊豆には雑草のように繁茂し株立ちする花の群生は、冬の伊豆の風物誌にもなっている。この花が咲くとここ熱川温泉にももうすぐお正月がくる。

年が押し詰まってくると調理場は活気がつづくが、穏やかで静かであった。板前さんたちが手間ひまかけてすべてのおせち料理を手造りしているのだ。これでお正月のお客さんを迎える準備は万全となる。

ネヲンはメシ(食事)とは、すきっ腹を解消するものという時代に育ったので、栄養バランスがよくてボリューム満点の自衛隊時代の食事は、完璧で大満足であり、食事とはこうあるべきだと思っていた。

が、旅館勤めをして、板前さんが作る本物の料理をみたときは、その華やかで美しさに眼が丸くなった。自分がもっていた食事の概念が、きれいに突き崩された。そして、いつかは自分もお客さんになってこんな料理を食べてみたいと思った。本物の手作りの料理を提供していた時代の旅館の話しである。

しかし、旅館の料理に憧れを抱いたネヲンも、おせち料理にはたいして興味がわかなかった。それは、台所中をいっぱいにして母親が作ってくれたおせち料理と大差ないように思えたからだ。おせち料理に対する愛情は母親の方が勝っていると思ったからだ。

旦那さんの新年の挨拶

お正月
お正月

元日の朝6時、羽織袴姿の旦那さん(社長)を前に総勢60余名の従業員が広間に集まった。はじめて参加するネヲンが聞くところによると新年恒例の旦那さんの挨拶があるそうだ。新しい年を迎えるために新調された着物を着た若い女中さんたちと、パリッとした真新しい白衣姿の板前さんたちの姿がまぶしかった。

旦那さんの新年の挨拶は気負いのない話しぶりで、世の中の平穏と全従業員が心身ともに健やかで穏やかな正月が迎えられたことの喜びを、ニコヤカにそして簡単にのべた。

挨拶が済むと板前さん女中さんの順で、大番頭さんが注ぐお屠蘇の前へと動いた。余談だが、酒飲みはこんなときでも一番大きな杯を取ろうとする。

お屠蘇をいただいたあとは旦那さんの前で一人ずつ「おめでとうございます」と新年の挨拶をする。旦那さんは、満面の笑みを返しながら「おお…」と言葉にならない言葉を発しポチ袋をそれぞれに手渡した。素晴らしい日本の正月の風景があった。

元気な女中さん
女中さん

新年の行事がすむと、女中さんたちはポチ袋を胸元に差し込みながら足早にそれぞれの持ち場へとかけていった。初日の出を拝むお客さんたちのうごきにあわせて新しい茶器セットを持って客室のドアをたたいた。この日は縁起のいい桜茶が用意されていた。

女中さんたちはよく動きまわった。若さだけが理由ではない。旅館の従業員たちには、社会的な階級制度の意識があったわけではないが、お客さんは雲の上の存在であり、自分たちとは違う世界の人たちであると無意識のうちに思っていたからである。

女中さんたちはお客さんの気持ちを汲み取ってしごく当たり前のように先へ先へと動いた。当然、どのお客さんも女中さんの働きに見合うだけのチップをくれた。特に三が日は想像を絶する金額となった。

ずっと後になってネヲンは思った。庶民は精一杯の予算で温泉旅館に泊まるべきではないと…。

理由は、庶民は背伸びをするとチマチマしたことに文句をつけたくなるからだ。テレビや週刊誌などで知った知識をふりまわして偉そうにしていると、旅館の人たちが仕返しをするわけではないが、後味の悪い旅行になってしまう。

庶民が温泉旅館に泊まるときは、奮発して予算の三倍ぐらいの旅館を選ぶべきである。そうすれば、そこには庶民の知らない世界がある。知らない世界のことには文句のつけようがない。未知の見分は、世間も広くなるし心も豊かになる。さらにいえば、借金に追われて見境なく客を泊めようとする旅館は一刻も早く閉館すべきだある。と…。

初日の出
初日の出

ホテルの正面には伊豆大島が大きく横たわっている。6時54分、初日の出がその伊豆大島の右端から顔を出した。お客さんたちから歓声と拍手がおこった。当時の熱川の海岸線は、埋め立てが道路一本分だけだったので太古からの原風景にだいぶ近かった。

海岸線といえば…。

オレがホテルの前の防波堤で海を見ながらお客さんの到着を待っていると、いつも「何を見ているの?」といいながら南伊豆町の出身の若い女中さんの由美ちゃんが横に立つ。由美ちゃんは横に並ぶとすぐに腕を絡め腰骨に圧を感じるほど体を寄せてくる。まるで子犬のようにかわいかった。

「ネヲンちゃん、伊豆七島はどのように並んでいるか知ってる?」と、いって「音に聞こえし神津島 三宅 御蔵は八丈に近し 」と、おばあさんに教えてもらったという歌を由美ちゃんが教えてくれた。

伊豆七島は正面の大島から右へ順番に、大島 利島 新島 式根島 神津島 三宅島 御蔵島 の順で八丈島に近い。「 音に聞こえし… 」のなかには、大島 利島 新島 式根島 の島名の頭文字が読み込まれています。今では式根島を七島には数えないで、八丈島を含めて伊豆七島というのが一般的なようです。

さて、伊豆大島の三原山から上空高く噴煙がたなびく日がある。それは、ハワイのキラウェア火山やイタリアのストロンボリー火山と共に世界三大流動性火山であるからだ。

また、三原山は火口上空の雲や噴煙が火口の赤熱溶岩に映えて明るく赤く見えることがある。この火映(かえい)という現象を、地元では昔から御神火様といってあがめています。

七草がゆ

七草がゆ
七草がゆ

晴れやかで華やかだった正月三が日もあっという間に過ぎ去った。門松やしめ縄などが外され、お客さんの食膳に七草がゆが上ると、春を告げる東風(こち)が吹くまでの熱川温泉は街じゅうが閑散とする。が、閑古鳥が鳴くという静けさではない。ゆとりのあるおだやかな静けさである。温泉街のすべてのものが次に来る繁忙期に備えていた。

今でも一般的には、春と秋の行楽シーズンというが、現在の温泉旅館は土曜日がオン、平日がオフと状況になってしまったので、ネヲンの時代の温泉地のような明確な春と秋の旅行シーズンがなくなってしまった。

ということは、現在の旅館の社員たちは、年間を通じてダラダラと働かざるをえない。だから、今の温泉旅館にはいい意味での緊張感がなくなってしまった。こんなことが案外いまの温泉旅館をつまらないものにしているのではないだろうか。

冬休み

東風の波頭
春を告げる東風でしける海

松の内が明けると、旦那さんはまた全従業員を集めて休業宣言にちかい訓示をした。「やがてくる春の旅行シーズンに備え、風邪など引かないように体の手入れをしっかりして、充分な鋭気を養っておくように」といって、3月までのほぼ二ヶ月間も遊ばせてくれた。もちろん給料は全額支給である。

当時の温泉旅館にはものすごい財力があったのだ。現在では考えられない時代である。この余裕から本物のサービスが生まれたのだ。

温泉街が冬休みになると、地元の中学校を卒業し行儀見習いとして旅館勤めをはじめた娘たちは、一週間~10日単位で実家に帰った。

風呂場で洗濯
風呂場で洗濯

館内が寂しくなったが「温泉旅館勤めなんかして」と、勘当同様の宣言を受けたオレは、帰る家もなく遊びに行く先も金もなかった。故郷のおみやげを持って帰ってくる娘たちとの再会を楽しみに静かに日々を送っていた。

そして、夜が更けるとオレは一人もくもくと、ひと気のない内場の片隅で洗濯をした。小さなタイルの目地を洗濯板代わりにシャツとパンツと靴下を洗った。洗濯は少々億劫であったが苦にはならなかった。だって、洗い物はほんの少々だからだ。

熱川温泉ではじめての冬をむかえたオレは、毎日がワイシャツ姿で過ごすことができので、ここでは冬支度が不要だと思った。文字通りの常春の伊豆だと思った。が、次の年の冬は今まで通りの冬の寒さにふるえた。人間の環境適応力の素晴らしさを知ったネヲンであった。

▶ 第三章に続く

▲ ページの先頭に戻る