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雨の横断歩道の雑踏

初めての営業

熱川温泉にまた春がめぐってきた。思い起こせば、自分で蒔いた種とはいえこの一年は、営業先で打たれ、蹴とばされ続けた日々であった。

そして、現地の熱川では、騒がしかった春季の旅行シーズンが過ぎようとしていた。お客さんがいなくなると、静寂を破るものは寄せては返す波の音だけであった。

また春が来た

波
伊豆熱川温泉 春の海

旦那さん(社長)の思惑通りネヲンは踊った。社長は、まんまと一人分の給料を浮かせたのである。ネヲンはといえば、たいした成果もだせなったが、苦労を苦労と感じない性格なのか嬉々として歩きまわっていた。

ネヲンは、給料をもらいながら、きびしい営業の学校に通っているのだと思っていた。社長とネヲン、どちらもしたたかであった。

さて、ネヲンは一年間の営業の総括をした。まず、大都会には個人旅行業者があまたいたが、それらの個人旅行業者は一様に有名旅館志向であった。それは、もしかしたら、二流旅館の分際で頭が高く、営業力もないくせに、へいこらもできないネヲンに対するいやがらせだったのかもしれないが。

理由はともかく、営業力もなく二流旅館のネヲンには手に負えないものとしてセールスの対象外とした。

では、どうする?

最大手の旅行会社「JTB」にアタックすることに決めた。「オイ、オイ、なんてことを…」という声が聞こえそうであるが、心配はご無用。JTB、NTA、KNTなどの大手旅行会社には年間を通して「部屋提供」をしているので、それなりの実績もあり知名度もあるので、なんとか食らいつく余地があるはずだと思ったからだ。

「坂の上の雲」、明治の日本人はロシアに戦いを挑んだではなか。ネヲンは、優秀なるがゆえに常識的な人たちの集団「JTB」には、きっと突破口があると考えた。

団体旅行渋谷支店にて

国内最大級の団体旅行の拠点である、JTB団体旅行渋谷支店を攻略するために、湯の街ネヲンは、大胆な行動をおこした。

ビル群の裏側
ビル群の裏側

その日の朝、ネヲンは一人、JTB団体旅行渋谷支店が入るビルの裏口に立った。大都会のビルの表側は綺麗であるが、ひと気のないビル群の裏側は寒々としてギャング映画の舞台のようである。ネヲン、大仕事をまじかにひかえプレッシャーは感じたが、精神的には落ち着いていた。

開店時間の30~40分前になると、ポツリ、ポツリと社員が現れはじめる。余裕をもって出社してくる人達は、勤務中の顔とは違う穏やかな顔をしていた。

「お早うございます。伊豆のホテル アタガワです!」と、大きな声を掛けながらパンフレットに名刺をそえて差し出すと、どの人も軽く会釈して素直に受け取ってくれた。なかには、「ありがとう」とか「ご苦労様」などと、声を返してくれる人もいた。さすがJTBのみなさんは、紳士、淑女であった。

「な~んだ、簡単じゃん!」と、この時は軽いのりで鼻歌まじりのネヲンであった。

が、15分も過ぎると社員達がゾロゾロと列をなしてやって来た。ネヲンにとっては想定外である。さすがは大所帯の JTB団体旅行渋谷支店の出社風景であった。

出社風景
出社風景

こうなるとパンフを手渡すだけで、ネヲンは、いっぱい いっぱいになってしまった。名刺など添えるいとまがない。また、挨拶のほうは「お早う…」とか「ホテル…」とか、とぎれ とぎれになって、自分でも何をいっているのか解らなくなってしまった。

このあわただしかった時間は、アッという間に過ぎ去った。ホッとひと息入れつつ、ネヲンは、支店の入り口の前にたち始業時間を待つ間、気を落ちつかさせながら、これからの店内での手配係りや営業さんへのセールス方法などを、無意識のうちにシュミレーションしていた。そして、思ったより簡単にことがはこんだので、ネヲンは、チョット有頂天であった。

思いもよらないこととなる

業務開始の時刻になった。すると、女子社員がでてきて「ミーティングが始まりますから…」といいながら入口のドアを閉た。ネヲンは「どうぞ」といいながら我が身を少しずらせた。このときは、まだ成功の余韻が残っていて気持ちに余裕があった。

社員がドアを開ける
社員がドアを開ける

ややあって、湯の街ネヲンを奈落の底へつき落とす入り口へと舞台がまわった。

再びドアがあいて、先ほどの女性がネヲンに「支店長が呼んでますから」といってフロアー内に招き入れた。ネヲンに嫌な緊張が走った。

女性のあとについて恐る恐るフロアーに入ると、そこでは全社員が起立してミーティングをしていた。

全員の目が一斉にネヲンに注がれた。突然、大量のフラッシュを浴びせられたようで、頭の中がクラクラとして自分が誰だかなにがなんだか解らなくなった。

支店長のとなりに並ぶようにと女性が促した。

何だ! 何だろう? 営業経験の浅いネヲンは、ついつい弱気になって、ドキドキしながら支店長の隣におずおずと近寄った。

寡黙な支店長がいきなり言った。

「5分間あげるから、あなたの旅館の宣伝をしなさい!」と・・・。

「ドヒェーッ、マジか!?」とネヲン、予想だにしない支店長のひと言に、慌てふためき、脳内は大混乱で心臓がバクバクした。

折角、清水の舞台から飛び降りる覚悟でパンフ配りをし、大きなチャンスをつかんだといのに、湯の街ネヲン、すべてが我流というインスタント営業マンの未熟さが露呈し、まともなプレゼンができなかった。

支店長の「あなたの旅館の宣伝をしなさい」との意味がわからず、「自分の旅館の欠点ばかりを並べたてて、こんな旅館ですが、よろしかったらご送客ください」と、やってしまった。

心やさしそうな幾人かがパラパラと拍手をしてくれたが、ほとんどの営業社員達は、「そんな旅館に、お客さんなんか送れるか、アホ!」と、思ったであろう。このときネヲンに支店長を見やる余裕があったら、こんなダメ男のために貴重な時間を無駄にされたと苦虫を潰したような顔の支店長をみただろう。「あぁー もうバカ バカ!」である。残念!

その後、どのようにして支店を退出したかの記憶がない。気がつけば、道玄坂のビルの合間の天を仰いでいた。青空に白い雲がポッカリと浮かんでいた。「負けてたまるか!」、尻のポケットには、「坂の上の雲」の文庫本が、ねじ込まれていた。

世の中には天才がいる

華のある人
華のある人

人間関係の構築と、口でいうのは簡単だが実際にはとても大変なことだ。しかし、世の中にはこんな大変なことをたった一晩、酒の席を同じくするだけで構築してしまう天才もいる。

その人は、なんと、ネヲンの上司・ホテル アタガワの支配人である。支配人のそんな威力を目のあたりにしていたネヲンは幸運である。自分が結果を出す方法は、アリのように這いずり回るしかないと悟れたからである。良いライバルに恵まれたネヲンである。

この支配人には特技があった。宴会芸である。

ぎんぎんぎらぎらブロンズ像
ぎんぎんぎらぎら・ブロンズ像

童謡の「夕日」ぎんぎんぎらぎら夕日が沈むに合わせて、お相撲さんが四股を踏むような格好で、両手をひらひらさせて夕日が沈む仕草をするのだ。支配人が、ある時の忘年会でその芸を披露した。

ネヲンたち一同は、一瞬沈黙、そして拍手喝采、大爆笑であった。

仕事をする人は、いいもの、素晴らしいことは直ぐに取り入れるべきである。ネヲン、この支配人に十八番のぎんぎんぎらぎらの伝授を受けなかったことを悔いた。

もし、JTB団体旅行渋谷支店の支店長に「5分間あげるから、あなたの旅館の宣伝をしなさい!」といわれた時に、ぎんぎんぎらぎらとやっていたら、ネヲンは伝説の営業マンになっていただろうと。

ホテル アタガワ

海沿いに建つ「ホテル アタガワ」には、新館と旧舘があり総客室は45室。通称300人の収容と全室オーシャンビューと謳っていたが、実際には250名そこそこの収容で、すべての客室からの眺望がバッチリというわけではなかった。宴会場は最大150名で、パーテーションで3っつに区切れた。海を見下ろす大浴場からは、昇る朝日が素晴らしかった。

慰安旅行の宴会風景
団体旅行の時代

ネヲンは、なにごとも自分に都合よく考えるタチであった。団体さんを効率よく集客するには、団体旅行専門の旅行会社にセールスをかければいいと考えた。それで、JTBの団体旅行渋谷支店に挑んだのであった。

しかし、ホテル アタガワは、団旅渋谷が扱う大型団体向きの旅館ではなかった。団旅渋谷で扱う客層は、バス10台とか20台とかの大型団体であった。ネヲンが考えていた40~50人程度の団体さんとは、取扱う団体客の桁がまるっきり違っていたのである。

その後もネヲンは、団旅渋谷での営業を頑張ったが成果はゼロであった。ネヲンのドジもあったが、しかし、収穫もあった。一流大学を出て一番人気の企業に勤める人たちとの交流を持てたことで、世の中にはいろいろな人たちがいることを知った。

大手旅行会社は、凄い!

これまで大手旅行会社は、全国の支店で発生した個々の予約や取り消しを、東京の手配センター経由で、各旅館と直接電話でやり取りをしていたが、あるときJTBは、こんな業務を一変させた。

テレックスのテープ
テレックスのテープ

電話での予約や変更のやりとりがなくなり、深夜0時になるとテレックスが、強烈な機械音をたててヘビのように細長いテープをはきだした。そのテープには不規則な穴があいていて暗号のようであったが、それに要件が書き込まれており電話の代わりとなった。

同時に、JTBの店舗内では旅館販売用の資料が完璧に整備された。各旅館の温泉の効能や施設的な詳細な情報はもちろん、温泉街の歩きかた地図や付近の観光地などが余すことろなく記載されていた。

それに伴い、それぞれの温泉地内の各旅館には、01、02、などと格付け的な番号を付与した。その番号は、社員たちが旅館を選択する順位の目安でもあった。ちなみに、ホテル アタガワは「06」であった。06 という番号は、ただ待っているだけではなかなか順番が来ない。

これらのシステム化の一環では、宿泊クーポンや電車のきっぷなども瞬時に発券されたので清算業務も簡素化された。よって、経験のあさい社員でも、お客さんの要望通りの旅館がいとも簡単に販売できるようになった。

この業務システムの強化は、店頭販売員たちの労力を削減したが、同時に、社員たちを金太郎アメ化し、現地の情報提供者である旅館の営業マンのやる気をそいだ。

JTB新宿西口支店にて

新宿駅西口の風景
現在の新宿駅西口の風景

街の旅行業者のようなイヤミな対応と違ってJTBの社員は、どこでも、にこやかに応対してくれるが、その先の関係が構築できない。暖簾に腕押し、取り付く島もないというやつである。これでは、コンピューターによる機械的な送客以外は期待できない。JTB にアタックしようするネヲンの今の大きな悩みとなった。

すなわち、ネヲンの営業をはばんでいるのが「融通の利かない奴」と「クソ真面目な奴」である。そして、一番始末が悪いのが、無表情で「ハイ、わかりました」とオウム返しを連発するヤツである。コイツ等には、ほんとうに参った!

水虫とおともだちのネヲンは、革底の靴を愛用していた。革底靴は穴があくのが早い! 穴は開いても先は見えなかった。

押しても押しても響かない。外ズラはいいが愛想のないJTB社員たちへの営業は、小説「坂の上の雲」の、旅順港を一望する203高地の奪取を目指し突撃を繰り返す日本軍の兵隊さんと同じであった。山頂のトーチカから機関銃を乱射するロシア軍にむかって、歩兵銃を携え突撃をしているみたいだった。

弱気なっているネヲンの脳裏に、乃木大将の「突撃!」の号令が響いた。

新宿西口は、奇しくも安田生命の入社試験で人生のダメをだされた場所であったが、営業での成功の入り口でもあった。

お客さん入れたよ!
お客さん入れたよ!

新宿西口支店で、いつものようにカウンターセールスをしていると、傍らの若くてやんちゃそうな社員がネヲンの差し出したパンフをちっらとみて「お客さん入れたよ!」とぶっきらぼうに言った。

ネヲン「有難う御座います!」と言いながら、その若者の顔を見て閃いた。

ネヲンの努力に、営業の神様がほほえんだ瞬間である!

そうだ! 買わないヤツに売る努力をするよりも、買ってくれる人を探せばいいのだ、ということに気が付いた。嫌味な個人旅行業者のじじいなんぞは、糞食らえであった。スッキリ!

営業には二種類ある。そう、売る営業うと買ってもらう営業である。自分がどちらのタイプであるかがわかれば、営業って結構気楽な職種である。当人の地でいけばいいからである。

優秀な社員が集まるJTBいえども全員が同じではない。少数であるが、会社の指針やシステムにしばられない社員がいることを知り、ネヲンはJTB攻略の糸口を見つけ営業スタイルを変えた。

ネヲン、JTBの支店に入ると、まず、カウンターにいる社員たちの顔つきや服装、動きをそっと観察した。アウトサイダー的な社員を見つけるのである。特徴のなさそうな奴は無視!

この新宿西口支店には、後日談がある。ネヲンが総案の所長として下呂温泉に泊まったとき、この時期、この支店にいたという真面目そうな支配人がいたのである。残念ながら、ネヲンの選別からは漏れていたので、お互いに、ヤァー、ヤァーという再開ではなかったが、楽しい思い出話ができた。

下呂温泉街
下呂温泉街の風景

ちなみに、このシステムを無視するようなJTBの社員たちの行為は規律違反にはならない。社員たちには、お客さんの希望であれば、どこの旅館を手配してもよい権限があったからだ。

さて、この戦術はみごとに当り送客が増えた。そして、思わぬ波及効果もでた。これまで、JTBと旅館を結ぶのはテレックスだけであったが「ネヲンさんいますか」と、JTBの社員からじかに宿泊依頼の電話がくるようになったので、旅館の仲間たちは、天下のJTBから名指しでの電話が入ることを凄いと評価してくれた。

曲がりなりにも、ネヲンが成果を出せたのは、社長の指示(?)に従わず3日間遊ばなかっただけである。ただ、やみくもに歩いただけであった。

蒲田支店にて

この日、ネヲンは蒲田支店にいた。11月も下旬になると大都会・東京の街にも木枯らしが吹いていた。

蒲田駅前の風景
現在の蒲田駅前の風景

JTBの支店営業に対するコツをつかんだネヲンは、いつものように店舗の片隅で社員たちの動きを見ていた。余裕とは恐ろしいもので、カウンター越しに対話している、年配で管理職風の社員とジャンバー姿の若い二人連れのお客さんとの雰囲気があやしいことに気が付いた。JTBのこの職員には、売り上げよりも、煩わし仕事にかかわりたくない様子がありありであった。

ネヲンは、その席の隣の社員をめがけて立ち上がり、うまく接触し、セールストークのあいまに隣の人たちの会話に耳をそばだて、広げられている企画商品を盗み見た。

会話の内容が掴めた。忘年会パックの20名様からというところで折り合いがつかないのである。はなからやる気のないJTBのオッサンは「規定が…」の一点張りである。お客さんは、一班で15~6人の班が幾つもあるから「そこを何とか…」と、食い下がっていたのだ。

交渉の決裂が必死とみたネヲンは、ここでの営業はやめて、店外で2人連れお客さんにアタックしようと思った。店舗の前には蒲田駅に向かう歩道橋があった。歩道橋のうえで待つことにした。案の定、ここからは店舗が丸見えである。ネヲンは、お客さんを見逃してはならずと人の出入りを確認しつつ木枯らしの寒さに耐えて待った。

歩道橋の上で待つ!
歩道橋

二人の若者が歩道橋を登って来た! ネヲンは「実は、JTBでのお話を隣席で聞いていました」と断りをいれパンフと名刺を差し出し、続けて忘年会企画のチラシを手渡し、当館のプランの説明をした。話はこの橋上であっさりと決まった。

しかも、旅館にとってはおいしいコンパニオンパックであった。

この若者たちは、なんと全日空の羽田空港の地上勤務者で作る労働組合の組合役員であった。15~16人を一班として、10班でローテイション勤務をしているそうだ。自分たちの班だけではなく、仲のいい人がいる3つの班の来館も確約してくれた。なお、残りの班の人達には我々の結果を見て、よければ次の機会に必ず紹介するとの約束までしてくれた。

ちなみに、ネヲンが必死に捕まえたお客さんに、現地での対応に粗相があるはずが無い。当然、若い人達は喜んで帰り、残りのグループを次々と紹介してくれた。蒲田と伊豆は、旅行距離も丁度いい。時期がくると、毎年来てくれた。そして、何人かは、新婚旅行で来てくれた。

さらに、オマケもついた。ネヲンに対する社長の評価があがった(?)のである。全員集合の席などで「あれはど不愛想だったネヲンさんが、お客さんのまえでニコニコするようになった」と、人は変われるという事のたとえとして機会あるごとに持ち出した。

ネヲンがここまでこれたのは、上司の支配人のお陰である。

あるとき、その支配人は言った。「オレは、お客さんにスリッパで横っ面をひっぱたかれても平気だ」と…。ネヲンの頭のなかにはない発想である。こんな心強い支配人なんてめったにいない。

お客さんの可愛いさと、同時に、怖さも知ったネヲンは、何かあったら支配人の後ろに隠れればいいという逃げ道を作り、プレッシャーを軽減した。なにごとにも、気楽に考え前むきなネヲンであった。

蒲田のさくら咲く

蒲田の桜
蒲田の桜 あやめ橋付近

さらに、話は続く。

この人達は全日空の「健保組合」まで紹介してくれた。健保組合への訪問とはいえ、全日空の本社ビルに出入りできるのはとても気分がよかった。そこでは、組合員の旅行だけではなく、無理難題な航空券の問題まで解決してくれた。蒲田で、さくらが満開となった。

▶ 第三話に続く

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