63歳! 涙のパソコン挑戦記
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パソコンなんて…。
オレ(湯の街ネヲン)現在63歳!
我々の年代には「パソコンなんて」と否定的に言うヤツが多い、なかには「パソコンなんて大嫌いだ!」と、暴言を吐くヤツもいる。自称・パソコン嫌いの人たちの本音は、パソコンが手に負えないからである。
オレ63歳! パソコンには一度も手をふれたことがない。
ある日突然、体のでかい若い友人が「パソコンをやってみろ!」と強圧的にいった。そのときのオレの反応。
「なに、パソコンをやってみろって?」
「このトシの、このオレにか?」
「そんなことは絶対に無理に決まってるだろう! ムリ、ムリ!」
「やってもできっこない。 ダメダメ、ダメだ!」
「なぁ~にぃ~! そのうえパソコンを買えってか?」
「そんなモノ、オレには無用のシロモノだ!」
「買っても無駄だ! 宝のもちぐされだ!」
もし、あなたがパソコンをやってみようかと思ったとき、パソコン習得のうえで一番の障害なるのが、パソコンにたいするこんな偏見です。まずは、意識改革をしましょう。人間の方がパソコンより絶対に賢い。はじめは誰でも素人だ! さあ、思い切ってはじめてみよう。
かってパソコンの凄さを経験。
オレの記憶からすっかり抜け落ちていたものがあった。思い起こせば、昭和55年(1980年)、当時35才のオレは、前職の ホテル アタガワ でコンピューターのスゴイさや便利さを、この肌身を持って体得していた。
ある日、社長の息子がホテルの事務室に顔を出した。普段は東京で生活をし大学に通っていた。まだ、パソコンが珍しかった頃の話である。
そんな時代のせいか、息子の幼いころから生い立ちを知る社員たちは「お坊ちゃんはパソコンでゲームばかりして遊んでいる」と陰口をたたいていた。
ソロバン片手に仕事をしていたオレに、「ネヲンさん、会計機を作ってあげようか」と、坊ちゃんが思いがけないことをいった。新しもの好きのオレは「お願いします」と即答した。
会計機の制作にあたり、坊ちゃんがだした条件はただ一つ、「ホテルの会計のシステムや流れを、僕に分かりやすく説明しなくてはだめだよ」であった。
オレに会計のシステムや流れを聞きながら、坊ちゃんはベーシック言語(当時のパソコン言語)を駆使してプログラムを書きあげ、秋葉原で部品を買い集め組み立てて会計機を作くりあげた。
個人制作の会計機としては、全国的にも数例目で、下田財務事務所からのお墨付きも得た立派なものだった。ある大手の会計機制作会社からは、プログラムを公開しないようにとの懇願もあった
ないしょの話…。
オレ、脱サラをし起業した「総案」が軌道に乗った50代のはじめ、昔を思い出して、ベーシック言語に挑戦した。たったの1ページも理解できずでアウト! それではとワープロを買ったが、これも、新品のまま押し入れの肥やしとなり、以来、これらのたぐいとは無縁となった。
家電製品は、すぐに壊れるもの。
オレたちの年代には、家電製品を楽しむなんて発想がない。理由は、子供の頃、テレビなどの家電製品をチョットいじっただけで「悪さをするな、壊れる!」と、親たちから大声で怒鳴られたので「家電製品=壊れやすいモノ」という方程式が脳ミソにすり込まれているからだ。
現代の家電製品は、見た目には華奢だがチョットやソットでは壊れるシロモノではない。だから、まずは家電製品に対する恐怖心を取り除き、パソコンを賢いオモチャだと思って気軽に遊ぶという感覚に切り替えよう。
パソコンの基本操作の習得法。
オレたちの年代の良いところは、知識や経験が豊富なことである。だが、パソコンの基本操作習得の初期には、この知識や経験が逆に足を引っ張る。それは、長い人生経験から、世の中のことはすべて知り尽くしていると錯覚し、オバケなんていないと思い込んでいるからだ。
ところがドッコイ、オバケはいるのだ。過去の経験では計りえない世界がある。それが、パソコンの世界である。未知の世界の領域に踏み込む(学習する)ということは、たとえ人生経験が豊かな人でも「オギャー」と生まれたばかりの赤ん坊と同じである。
赤ん坊といえば、高齢者がパソコンをマスターするための最速で最短の方法は、3才児に戻ることです。声を出し指差しながら一つずつ一つずつ覚えることです。学習のスタート年齢(3才児)に立ち返って恥ずかしがらずにやってみよう。さぁ~、やってみようぜ!
もの覚えが悪くなったのは、すべて加齢が原因です。悲しむことはありません。パソコンの操作習得なんて、3才児と同じレベルの繰り返しです。この単純勉強法で乗り切ろう!
パソコンがやってきた
湯の街ネヲンがパソコンをいじりはじめて6ヶ月と少々である。最近なって、やっとパソコンに慣れてきた。使えるようになったのではない。目・肩・腰などの肉体的な苦痛から開放されはじめたということである。
この物語は、若者とは異なる肉体的、頭脳的な条件下でパソコンを学んだ高齢者が、その経緯を「63歳! 涙のパソコン挑戦記」として書いたものです。
我が総案の事務所に、デスクトップ型パソコンが、机上に堂々と並んだのは、2005年02月08日のことである。この日から湯ノ街ネヲンとパソコンのお付き合いが始まった。
はじめてパソコンが設置された時の感動は、遠い昔、我が家にテレビなるものが運び込まれた時と同じだった。「オギャー」と生まれた時から電化製品に囲まれて育った、今の若い者には、あじわえない感動であろう。こんな感動を、人生において二度もあじわったオレ、これが幸せといわずなんといおう…。
この幸せを我が事務所に運び込んだのは、伊豆長岡温泉の花山君という旅館の営業マンだ。その日の花山君は、オレを強引に PC DEPOT(ピーシーデポ)とヤマダ電機へとひっぱっていった。二軒をハシゴして買い求めた中古のパソコン一式を事務所に持ち込むと、花山君は、あれよ、あれという間にセッテングし使えるようにしてくれた。
PC DEPOT でオレ、パソコンのことは何も分からないので、ただ花山君のあとをついてまわっていたが、この時オレは、パソコンは、頼りなさげな新製品に比べて、テレビのようにドッシリとしていて頑丈そうな中古品のほうがいいと思った。7,970円+消費税。
花山君は、デスクトップパソコン本体を指さし、人間の脳に当たるのが、この箱だと教えてくれた。が、オレには俄かには信じられなかった。テレビのようなディスプレイこそが、パソコンの中枢部分だと思っていたからだ。パソコンに対するオレの知識はそんな程度あった。さらに花山君は、OS・CPU・メモリなどが、どおのこおのといったが、オレちんぷんかんぷん。45,000円+消費税。
花山君は、なぜか、キーボードだけは新品を買ってくれた。オレは、人差し指でボタンをチョンチョンと叩き、ピアノを弾くように操作する己の姿を夢見た。4,700円+消費税。
オレなんだか知らないがウキウキしてきた。なおオレ、機械ものは、とにかく正常に動けば良いという主義である。不足・不便なことは自分が機械の機能・性能に合わせれば良いのである。物品の新・旧には、ストレスを感じない性格である。
事務所には、花山君がパソコンを設置してくれるまでは、電話機とコピー機しかなかった。これまでは、パソコン嫌いだと吹聴していたが、パソコンの進化と自分の寿命のバランスを考えたとき、このあたりがパソコン嫌いの看板を下ろす潮時だと思った。所謂、年貢の納め時というやつであった。
パソコン機器に命名!
事務所のデスクの上にデンと並んだパソコンと、その周辺機器をながめていると、マイカーを手に入れたときと同じような高揚感に包まれる。手間をいとわずワックスをかけピカピカに磨き上げたクルマのように、パソコンもかわいがってあげたくなった。
パソコンは車のようにワックスがけが出来ないので、それぞれの機器に名前をつけてかわいがることにした。呼び名は、愛読書の横山光輝の漫画「三国志」から拝借することにした。
劉備 玄徳は、ディスプレイ。
関羽は、パソコン本体。
張飛は、キーボード。
趙雲は、マウス。
諸葛亮 孔明は、Windows XP。
さあ、やってみろ!
初心者、特に高齢の初心者は、デスクトップ型パソコン、すなわち、パソコン本体・モニター・キーボード・マウス・スピーカーと、さらに、プリンターなどがずらりと並んだ机のまえに座ると、なじみの薄い機器類からの無言の威圧感に気おされる。
「さあ、やってみてください!」と、ビビってる湯の街ネヲンの背後から花山君がけしかけた。
オレ、こんな体験は人生2度目である。最初は、自衛隊で運転免許教習の初日に、大型トラックの運転席で教官に「さあ、動かしてみろ」と言われた。
「ふざけるな、出来っこねえ!」と…、
私は心の中で反発したが、今や、花山先生には絶対に逆らえない。
オドオド、モジモジしている私を尻目に、花山君は持参した CD-ROM からゲーム類をインストールしてくれた。「これなら出来るでしょ」と言って、マージャン・囲碁・将棋・花札の類とオセロ・トランプ・こいこい・五目並べ等と、ブロック崩しや、ピンボールなどを開いて見せた。
オレ、旧来からある単純なゲームばっかりだったので不満そうな顔をすると「今の所長(オレ)には、最新のゲームは無理ですって…、10年早い!」と、花山君に一蹴された。
マウスに慣れよう
さて、パソコンとは思ったよりも取っ付きにくいシロモノだ。その代表がマウスだ。コイツは、なかなか思うようには動かない。コイツには結構泣かされた。最初の壁である。
例えば、マウスポインタが画面上のどこにあるのか解らない時は、手元のマウスをクルクルとまわしてその所在場所を確認した。
また、画面上でクリック先をマウスポインタで追っかけていると、知らず知らずのうちにマウスのヤツが机上の端のほうへ行ってしまう。腕が伸びきってしまう。そんなときは、マウスの接続コードを引っ張ってマウスを手元に戻した。
オレが思うに、初心者がパソコンを習得するには、まず、基本操作を身体におぼえさせることだ!
だから、パソコンでゲームをするということは、マウスを操作したりキーボードを使うことになるので、知らず知らずのうちに身体で覚えることの学習になる。余計なことは心配せずに楽しみながらお続け下さい。
それが、意外にやっかいなマウス操作の向上につながります。「趙雲」だって最初から槍の名人だったわけではない。練習をかせね慣れるしかない。
ネズミが死んだ?
毎朝一番にやることはパソコンの電源を ON にすることだ。いつものようにパソコンが立ち上がった。さあ、今日も楽しい一日が始まるぞと思いながら、電子メールのアイコンの上にマウスポインタをもっていきクリックした。マウス君、ご苦労さんといいながら…。
ウン? おかしいぞ、いつもとようすが違う!
エッ! エ~ッ? メールのページが開かない!
ウン? なんでだ、なんでだ! と、慌てふためくオレであった。
パソコンの電源の入れ方が悪かったのかな?、と思って最初からやり直すことにした。
シャットダウンするためにスタートボタン上にマウスポインタを移動した。そして、慌ただしく何度も何度もクリックした。
ウン! ウ~ン? ここでも反応なしだ!
ヤバイ!、ウィルスか?、どうするどうすると、一人慌てふためく。
この時、素人のオレが無意識のうちにやったことがある。ディスプレイの上部を平手で二度叩いた。さらに、横っ腹をバンバンと叩いた。どちらも反応なし。接触不良かと思って、マウスを空中で激しく振ってみた。マウスをカチカチとヒステリックにクリックしてみた。いずれも反応なし。
以上、オジさんが電化製品に対する過去の経験をもとに思いつく限りの処置をした。しかし、結果はゼロであった。万策は尽きたと絶望感に襲われた。
ヨシ! こうなったら荒治療しかない、と思ってパソコンの電源ボタンを指で押して強制的に「OFF」にした。そして、気を静めながら神にもすがる思いで再度「ON」を押す。パソコンは立ち上がるものの、結果は同じであった。もしやと思って何回も繰り返してみた。やっぱりダメだ!
こうなったら最後の手段である。思い切って、エイ、ヤーのかけ声と共にコンセントを抜いた。南無三・・・。今度は仏様に縋った。そして、再びコンセントを差し込み再挑戦。またまた、結果は同じであった。
以上は、絶対にやってはいけない事です。
素人療法の万策がつきて、我がパソコンの師匠・花山君 に電話をして指示を仰ぐことにした。
「お早う御座いま~す。花山で~す」と、弾んだ声で電話にでた。人の気も知らないで、何という電話の出方だ、コンチキショウめ!、とちょっとムカッとした。が、パソコンを復旧させるのが先決なので気を落ち着かせトラブルの内容を伝えた。
「あっ、それってマウスがイカレタんですよ、買い換えてください」と、いとも簡単な答が返ってきた。トラブルの原因はマウスがイカレタのだ。ネズミが死んだ。
あとで、このときの花山君が上機嫌だったワケが解った。ちょうどゴルフを始めるところだったのだ。
そんなわけで、一人で PC DEPOT(ピーシーデポ)にマウスを買いにいった。パソコンショップで一人買い物をする自分、なんだか、とってもかっこよく思えた。
マウスには脳みそが…。
パソコンの置いてあるデスクのうしろ側の足元には埃まみれの配線のヤマがある。おぞましい光景である。オレはずうぅっ~と見ないようにしてきたが、今日ばかりはマウスを交換するために手を入れざるをえない。ジャングルのような配線をかき分けて、自力で新品のマウスに交換した。
我ながらよく出来たものだと、埃まみれななった手で自分自身に拍手をおくった。
マウスを交換して、はじめて知ったことがある。
オレ、マウスは電球と同類だと思っていた。電球はソケットにねじ込むとパッと明かりがつく。マウスもコードをパソコンに接続すればすぐに動くものだと思っていた。
なので、すぐに動かいこのマウスは不良品だと思い PC DEPOT へ文句を言いに行こうと思った。
が、念のためにマウスについていた能書きを広げてみた。そこに書かれていることを知ってビックリ仰天であった。何と!、マウスには「脳ミソ」があると書いてあったのだ。新発見である。
マウスに「脳ミソ」があるとはつゆ知らず、オレはマウスの接続を終えると、すぐにマウスを使ったのだ。マウスにすればさぞ迷惑なことであったろう。
オレが「このデキソコナイのマウスめ!」と、ののしって不良品だと決めつけていた、まさにその時、マウスの頭ミソ内では、パソコン本体から出された命令を懸命にインストールしていたのだ。「無知なオレでごめん!」と、マウスに謝った。
ちょっとひと一休み。
みなさんは、この砂時計のマークが、なんだか解りますか?
この興奮冷却マークは、そんな皆さんたちのためのお助けマンなのです。このマークを見たら、マウスから手を離し深呼吸をしましょう。気を落ち着かせましょう。そして、眼を閉じるか遠くを見つめて視力の回復をはかりましょう。
砂時計が消えるのを静かに待って、ゆったりとした気分で、少しづつパソコンに慣れましょう。
オレ、最近はまっているゲームがある。AI 囲碁だ。コイツはとても生真面目なヤツである。オレがセオリーなどを無視して適当な場所に石を置くと、オレのパソコン君は、興奮冷却マークを出しチョット待ってという。そのあいだ、パソコンの本体では「ウィーン」と唸り声を上げて、空調機器をフル回転させ目一杯頑張っている。
オレの適当な一手に、真剣に対処しているのだ。そんなパソコンを可愛いやつだと思えるようになってきて近親感も芽生えた。
一本指打法でOK!
パソコン操作の習得には、マウスだけではなくもう一つ身体で覚えなくてはならないものがある。それは、キーボードである。これは思い込みさえ排除すればそれで解決です。
花山君は得意げに早打ちをやってみせ、このようにヤレと言う。早く打て、しかも、両手の指を使ってやれと。フザケルナ、そんなことはできねー!
解説書も同罪である。キーボードの正しい操作方法などと称して、若者流のやり方を図解入りで説明している。
キーボードの一本指打法が非難されるいわれはない。一本足打法の王さんは、世界一のホームラン王になった。文句があるか! そもそも、60年間も働かせたこの身体、今ではあっちこっちにガタがきている。特に運動神経などはみるかげもない。「早打ち」なんぞに挑戦する余禄はない。
キーボードの最大の仕事・役割は、使い手の命令を正確にパソコンに伝えることなのだ。だから、正確に打つことが一番なのだ。それさえできれば、馬鹿な奴らがいうように、両手で操作ができないことを悩んだり悲観することはない。
では、一本指じゃかっこ悪いという方、また、ボケ防止のために両手を使いたいという方に良い方法を教えましょう。それはいとも簡単な方法で、右手の人差し指と左手の人差し指とを使って、右、左、右、左と一文字ずつ交互に打てばいい。立派な二刀流の使い手である。
モニターに盲点あり。
先日、ある友人から楽しい話を聞いた。実家の75歳のお父さんが、デスクトップタイプのパソコンを買ったそうだ。友人は高齢な父がパソコンを買うという気概に感嘆していた。そのお父さんは、目がよくないからといってモニターは22インチにしたそうだ。これには友人もビックリしていた。
友人は、まあ、お金はとっておいても仕方ないから贅沢するな、とは言わないけれど、困ったことことができたそうだ。それは、お母さんにはパソコンを触らせないのだ。理由は、いじたっら壊れるから、だって…。パソコンを前にしていがみ合う両親のことを思うと前途は多難だとなげいていた。
この話しを聞いたオレは思わずニッコリとした。それは、大型のモニターにしたお父さんの考え方が大正解だからだ。さすが年の功だと感心した。お父さん頑張れ…、応援しています。
実はオレ、パソコンを始めて一番泣かされたのがモニターなんです。現在も悩み続けている。
オレ、老眼鏡をかけ、頑張って画面を見つめても60分が限界です。しかたなく、しばらく休んで再開しても、二回目はもっと早く5~6分でアウトです。それ以上は、目が痛くなってとても耐えられない。モニターには肉体的な苦痛を強いられる。年を取った者の悲しい現実です。
そんなワケでアドバイス。まずは、モニターの文字のサイズを ”大” にしましょう。
年を重ねたオレ達は、目の力や記憶力など肉体的なことはすべて減退するばかりです。悩んでばかりいても仕方ない。しかし、我々には若者達よりも優位なものもある。それは、経済的な余裕である。先ほどの友人のお父さんのように、あるものは有効に使おう!
オレも花山君にお願いして、19インチのモニターに買い換えた。ちょっと寂しくなるが、初代の劉備 玄徳のテレビのようなモニターにさよならである。理想をいえば、もっと大画面のモニターにしてキーボードから2~3メートル先に置き、老眼鏡なしでパソコンを使うことである。
わかった病に、注意!
パソコンに向き合うにあたって、我が人生60余年の間に、世の中のことはひととおり見たり聞いたり、又、かじったことがあると自信を持ち、この世には、未知・未体験の世界などがあるはずないと思って生きてきた。
これは、今日までそれなりに生きてきた自分への過信が原因で、自惚れからくる目の曇りである。
わかった病とは、じつは何にもわかっていないのに、自分では「な~んだ、そんなことか」と、解ったかのように思い込んでしまうことだ。まさに「生兵法は大怪我のもと」という故事のとおりです。パソコン習得にあたり、いつも急ぐな焦るなと思っていたのに、オレ自信が知らず知らずのうちにわかった病に取りつかれていた。
パソコンの世界が今までの経験則では計り知れない、全くの別の思考回路から成り立っているという事に気がつかなかった。