猫のイラスト
雨の横断歩道の雑踏

初めての営業

1968年(昭和43年)初夏、26才のオレ(湯の街ネヲン)は、陸上自衛隊を除隊すると、あみだくじの階段を下るようにして、伊豆熱川温泉のホテル アタガワに就職した。

仕事は、お客様から宿泊料をいただくお会計係(経理)であった。この物語は、それから3年半が過ぎた春のある夜の旦那さん(社長)との会話からはじまります。

序章

昭和47年頃の熱川温泉街
伊豆熱川の温泉街(昭和47年頃)

当時の温泉旅館は、女将さんの指示のもと古参の番頭さん(支配人)や女中頭を中心にまわっており、ご主人はといえば名ばかりの社長で、旦那さんとかお父さんとか呼ばれ、家業の仕事はほったらかしで、毎日ブラブラと競輪・競馬にパチンコ・麻雀、芸者遊びにと好き勝手をしていた。温泉旅館は儲かっていたからである。

湯の街ネヲン、もし、就職先の旦那さんが遊び人であったら、今頃は場末のドブのよどみに沈んでいただろう。

こんな時代、ホテル アタガワの旦那さんは例外中の例外であった。この40歳半ばの旦那さんは、現場での細かな仕事一つ一つには手や口を出さなかったが、旅館経営には全力をそそいでいた。とくに社員教育には熱心で人を動かす天才であった。

社員教育といっても、業務マニュアルを作ったり、社員を一堂に集めて小難しい講義などをするのではない。いつもマンツーマンであった。話し好きのおじさんという感じで、時や場所を選ばず社員をつかまえては、館内での出来事や時々の世間話をうまく取り入れて、相手のレベルに合わせて解りやすく話しをして聞かせていた。

この旦那さんは、まわりの人達よりも背がヒョロリと高く、手と足がとても長かった。おまけに顔までが長い。そして、社員達と話をするときは、身体を折り曲げ相手の目線に合わせて顔を近づける。話が核心に及ぶとさらに顔を近づけた。だから、気が付くと少し飛び出し気味のギョロ目の長いが顔がすぐ目の前にあった。

旦那さんの思いもよらない話!

ある春の夜、湯の街ネヲン(以下、ネヲン)は、旦那さん(以下、社長)に呼びだされた。その場所は温泉街の中心にある社長宅の2階にある書斎兼事務室であった。向かいの遊技場のネオンの瞬きが窓のくもりガラスに映ったり、酔客の下駄の音や嬌声などが響いてきた。

お湯割り焼酎

焼酎のお湯割りが二杯

糖尿病があった旦那さんには夕食後の酒の量に制限があり、焼酎が二杯と決まっていた。特に太っているわけでもないのに、とても汗かきで焼酎を飲みながら一すじ二すじと汗を流す。

さて、この夜の社長の話は、ネヲンとって思いもよらないものであった。

社長は、目元を少し赤くして、長い人差し指で小刻みに足元を指しながら「ところでネヲンさんは、ここに来てどのくらい?」と訊いた。

この社長は、どの社員にも必ず「さん」づけで呼ぶ。そして、下の社員になればなるほど優しい笑顔と声音で話しかける。また、すべてを承知していながら「どのくら経ったの?」などと話しはじめる。見かけとは違って、本当は何でも知っている恐ろしい社長であった。

「3年半です」と、ネヲンはぶっきらぼうに答える。

「そうか、もう3年も経ったのか!」と、感慨深げにいい「毎日毎日、同じ仕事ばかりでは飽きるだろう」と続けた。

ネヲンは、経理だもの毎日の仕事が繰り返しなのは当たり前だろうと、胸中で思いながら、つぎの言葉を待った。

すると社長は、「たまには、息抜きに外に出てみるか?」と、ネヲンにはちょっと理解しがたいことを言った。

「どう云うことですか?」と、ネヲンは社長のいう意味がわからず聞き返した。

社長が解説をした。「営業ということで外に出すから、都会の空気を吸って気分転換をして来いと云うことだ」と。

「営業ですか!?」と、ネヲンは意外な展開に驚きの声を発した。ネヲンの脳裏には、仕事としての「営業」という思考がまったくなかった。陸上競技の選手が、いきなりプールに飛び込めといわれたようなものであった。

ネヲンの胸中を見抜いている社長は、「バカ! お前に客を取ってこいなんて、これっぽっちも思っちゃいない」と、指先をまるめ弾くようなしぐさをしながらいった。さらに、「第一、お前はぶっきらぼうのうえに、顔からして営業向きでない」と続けた。この社長の言葉にはネヲン自身が、妙に納得しウン、ウンとうなずいた。

このあと、社長は信じられないことをいった。

社長は、長い指を親指からゆっくりと折おりまげながら、月、火、水、木、金といい、そして、今度はその折り曲げた指をパッとひろげて、ネヲンの顔の前で手のひらを左右に振りながらいった。

「ネヲンさんや」と、おだやかにいって、ひと呼吸おいて続けた。「気分転換のために営業という名目で出張させるのだから、5日のうち3日間は映画を見るなり好きにしていい。ただ、ほかの社員の手前があるから、2日間は営業のまねごとをして、それらしい報告をしてね」といい、そして、この社長はネヲンの反応をみながら「まねごとでいいんだぞ! 気楽に行ってこい」と、念を押した。

てなワケで営業に出る

はた目には、なんていい社長なんだと見えるかも知れないが、実は、そんなお人よしの社長ではない。向上心の強いネヲンの性格を見抜き、5日のうち3日は遊んでいいよという「エサ」をぶら下げて、もう一つの仕事(営業)をネヲンに与えたのである。

事実、日々のお会計業務は代役にバトンタッチしたが、経理本来の仕事はしっかりとネヲンの手元に残った。この日からネヲンは経理兼営業となった。

東京のおばあちゃん

湯の街ネヲンの人生初の営業活動がスタートした。出張中の宿泊先は世田谷区経堂にある社長の実家であった。ここには、戦時中の避難先としてホテル アタガワの本館(青雲閣)を買い取ったという社長の母親(以下、おばあちゃん)と、お手伝いの静さんというおばさんの二人が住んでいた。おばあちゃんは80代の半ばで、静さんは60歳ぐらいであった。

世田谷の家
世田谷の住宅街の風景

実は、この高齢のおばあちゃんは妖怪だった。

ネヲンが、この世田谷の家にはじめて厄介になった日、夕食のお膳を前に、おばあちゃんはネヲンの顔を見つめて「あなたがネヲンさんという方ですか」と、やさしくかたりかけ、そして「そ~ですか、あなたがネヲンさんですか」と、何かを噛み分けるようにゆっくりと頷きながら「お父ちゃん(社長)は、ここへ帰るたびにあなたの話をするんですよ!」と、続けた。

「あなたは、いつも一生懸命働いてくれるそうですね。お父ちゃんは大助かりだといって、それはそれは感謝しているんですよ」と、思いもよらないことをいった。

さらに「これからも宜しくお願いしますね。お父ちゃんは、とても期待していますよ!」と、丁重にいった。ネヲンは返答のしょうがなくて、ただ黙って聞いていたが、初対面で、しかも、80歳を超えたおばあちゃんに、こんなことをいわれて、心の内では、ますます仕事に励もうと思った。と同時に、この婆さんは妖怪か? という不謹慎な思いもよぎった。

電車でのセールス

この頃は、温泉旅館も旅行業者も、ようやく世間の陽の当たる場所に顔をだしはじめた時期であり、いわゆる温泉旅館と旅行業者の持ちつ持たれつという時代の幕あけであった。

しかし、この二つの業界は、それぞれが雨後のタケノコのように勢いよく成長をはじめたが、まだまだ、お互いに相手のことを知りえていなかった。たとえば、旅行業者の手元には、両者を結びつける重要な旅館のパンフレットさえもがいきわたっていなかった。ホテル旅館は、必死になってパンフレットの類を配布し始めた時期であった。

こんな時代だったので、温泉旅館の営業マンの一番の仕事は、一軒でも多くの旅行業者へパンフレットを届けることであった。現在の営業マンよ、こんな単純な仕事が営業の主体であったのかと侮るなかれ! 当時は、数年に一度発行される旅行業者名簿しか手に入らなかったので、地図を頼りにやみくもに歩きまわるのみであった。

当時の温泉旅館の営業マンにとって、一番確実な営業方法は、訪ねあてた旅行会社で、近所のライバルの旅行会社の住所を教えてもらうことであった。この大変さはいっぱしの営業マンでなくとも理解できるであろう。

湯の街ネヲンは営業に出ることになったが、教えを請わないネヲンに対して先輩の営業マンたちは誰も営業の手ほどきをしてくれなかった。ネヲンは、すべてが我流で大都会の東京を歩きまわることとなった。

ネヲンは経堂の家から毎朝、熱川温泉と大きく書かれた売店の手提げ袋に、パンフと地図とボロボロの住所録を詰め込み、両手に下げて出かけた。経堂の駅に着くころには手の指が ” J の字 ” になっていて、うまく切符が買えなかった。そんなわけで、午前中の営業は力仕事である。

人間は疲れるとどこでも眠れる。

ホームの風景
ホームの風景

ここは上野駅である。疲れはててホームのベンチに座ると、次々に電車がすべりこみ大勢の人たちが乗り降りする。電車が発車ると、一瞬、ホームはガラガラになるがすぐにまた乗客でホームはいっぱいになる。

こんな繰り返しをぼーっと見ていると妄想が湧き、このうち一車両分でいいから、毎日、お客さんとして来てくれたらオレはどんなに楽になれるのかと思っていると、いつのまにか眠りこんでしまう。上野駅のベンチで居眠りなんて極上のひと時である。

人間は苦労をすると知恵が湧く。

まず、地図と全国旅行業者名簿をバラバラにして、必要なページだけ持ち歩くようにした。軽くなったし、素早く見られるようになった。

ネヲンは、電車に乗るとまず新宿や渋谷などの巨大ターミナル駅を目指した。駅のまわりには旅行業者が密集していたので、重いパンフの束をすぐに半減できるからである。

ターミナル駅の地下街には、ビックホリデーなどのツアー会社の企画商品を並べた屋台のような旅行会社が並んでいて、店舗の数が多かったのでパンフが早く捌けたた、

地下飲食店街

地下飲食店街

そこには、仕事以外のもう一つの楽しみがあった。地下街は薄暗く雑然としていたが、飲食店が軒をつらねていたので、いろなランチが格安で食べられた。

一人営業なので、席を気にせずいつでもどこでも簡単にもぐり込めた。腹が減ってれば、なにを食べても格段に美味かった!

そして、食後には、地上に出て冷暖房完備の証券会社にもぐりこみ株価の放送を聞きに来たお客さんのふりをしてフカフカの椅子に座ってひと眠りした。

午後になってパンフが半減すると、電車も空いてくるしネヲンの気分も軽くなった。

昼からの楽しみは読書である。ネヲン、この楽しい時間を確保するために、午後の営業戦略を変えた。歩く時間を減らすために一駅につき一改札口の周辺だけの営業にした。電車に乗るとすぐに尻のポケットにねじ込んでおいた文庫本をとりだしページをめくった。若いというのは素晴らしい。すぐに頭が切り替わり一瞬にしてストーリーが浮かびあがり、小さな活字もなんのそのであった。

この時 ハマっていたのが、司馬 遼太郎の「坂の上の雲」であった。難敵・ロシア攻略の日本軍を我が営業に見立てて没入した。ちなみにネヲンのファンは、騎兵を育成しロバのように貧弱な日本馬で、世界最強のコサック騎兵と戦った秋山好古だ!

我流営業のブーメラン

背広はどうした!
背広はどうした!

営業に出るようになって半年が過ぎた。ある残暑厳しい昼下がり、ネヲンは、半袖のワイシャツに水色のネクタイ姿で個人経営の旅行業者さんの店頭に立った。

ネヲンの「熱川温泉のホテル アタガワです」の挨拶と同時に、店主の「背広はどうした!」との、大きなきつい声が突き刺さってきた。そのあと、初対面のこの旅行業者から延々とお説教が続いた。店を後にしたネヲンは、ありがたい教育のお礼にと、コイツを旅行業者名簿から抹殺した。客もくれないのに文句をいうなと言いながら…。

この時代は、旅行業界の人達と旅館の者たちが、それぞれ、無意識のうちに主導権争いをしていたのだろうか? それとも、ネヲンの立ち居振る舞いがよっぽど酷かったのだろうか?

このような旅行業者の罵詈雑言は、ここだけの話しではない。あちらこちらで、ネクタイがダサい、靴が汚い、床屋へ行けなどなど…。また、挨拶の仕方が云々、店の出入りがなってないなどなどと、お叱りをタップリといただいた。

こんな時は、身近の先輩たちのカッコいいスーツ姿が目に浮かんだが、ネヲンはすぐにオレはオレだと打ち消しマイペースをつら抜いた。

また、パンフレットに旅館の電話番号が記載されているのが気に入らないと、即、パンフレットをゴミ箱に打ち捨てた旅行業者もいた。

余談だが仕事の流儀の一つに「形から入る」というのがある。特に、営業さんは仕事に慣れるまでは「形から入る」のがいいように思う。

ネヲンはそれでもめげなかった。このような仕打ちの原因の半分は自分にあると自覚していたし、朝から晩まで怒られていたわけではない。苦言は日に5~6軒であったからだ。それに、無視されたり暖簾に腕押しよりは、怒られた方が闘争心が沸いたからだ。

怒りの主たち多くは、駅ちかの旅行業者のおじさんたちだった。もしかしたら、このおじさんたちは、お客さんにそうとういじめられていたのかもしれない?

ネヲンに光が射した。青空観光の店舗は大井町の駅前アーケード街にあり、店主は中年女性で、観葉植物の鉢が並べられた爽やかな雰囲気だった。ネヲンと同時に、汗をふきふき若者が入ってきた。

汗で濡れた背中にワイシャツがべったりと張り付いていた。

ネヲンは、二人の会話から親子だと察した。二人の短い会話のあと、オレを見るおばさん(店主)の目に、今までのおじさんたちとは違うものを感じた。汗だくで帰ってきた若き息子と、うだつの上がらなそうなネヲンがダブったのであろう。この後、ここのお店からネヲンは、初めての団体客をもらった。

捨てない神

逆切れ
逆切れ

秋の日差しが柔らかいある日、ある旅行業者の店舗のガラス越しに、熱川温泉の有名旅館の営業マンと旅行業者がにこやかに会話をしているのが見えた。

あっ、ここの業者さんは熱川温泉に好意的なんだと、ネヲンは勝手に思いこみ、先客が帰るのを待って店に入った。「熱川温泉のホテル アタガワです」とパンフを差し出しながら元気よく挨拶をすると、「うちは、熱川館と大和館しか送客しないので、パンフはいらないから持って帰れ」と、一蹴された。二流旅館の哀しい現実であった。

そして、晩秋のもの悲しい木枯らしが吹きぬける夕暮れ時、本日最後の営業と決めて小規模の旅行会社に入店した。奥で男性二人が何やら話しをしていた。いつものように「熱川温泉のホテル アタガワです」と挨拶をすると、「ああ、そこへ資料を置いといて」と、その場から返事が帰ってきた。

ここで、あろうことかネヲンは逆ギレをした。

「わざわざ熱川温泉から出てきているのに、話も聞かずにそこに置いておけとはなにごとだ」と、ネヲンは大声でわめいた。すると、年配で体格のいい人が「まあ、まあ、」といいながらあわててとんできた。

「捨てる神あれば拾う神あり」というのがあるが、頑張っているネヲンのことを神様が見ていたのか、この人のいい社長のおかげでネヲンは事なきを得た。「捨てない神」もいたのである。

また春が来た

熱川温泉にまた春がめぐってきた。思い起こせば、自分で蒔いた種とはいえこの一年は、営業先で打たれ、蹴とばされ続けた日々であった。

そして、現地の熱川では、騒がしかった春季の旅行シーズンが過ぎようとしていた。お客さんがいなくなると、静寂を破るものは寄せては返す波の音だけであった。

波
伊豆熱川温泉 春の海

旦那さん(社長)の思惑通りネヲンは踊った。社長は、まんまと一人分の給料を浮かせたのである。ネヲンはといえば、たいした成果もだせなったが、苦労を苦労と感じない性格なのか嬉々として歩きまわっていた。

ネヲンは、給料をもらいながら、きびしい営業の学校に通っているのだと思っていた。社長とネヲン、どちらもしたたかであった。

さて、ネヲンは一年間の営業の総括をした。まず、大都会には個人旅行業者があまたいたが、それらの個人旅行業者は一様に有名旅館志向であった。それは、もしかしたら、二流旅館の分際で頭が高く、営業力もないくせに、へいこらもできないネヲンに対するいやがらせだったのかもしれないが。

理由はともかく、営業力もなく二流旅館のネヲンには手に負えないものとしてセールスの対象外とした。

では、どうする?

最大手の旅行会社「JTB」にアタックすることに決めた。「オイ、オイ、なんてことを…」という声が聞こえそうであるが、心配はご無用。JTB、NTA、KNTなどの大手旅行会社には年間を通して「部屋提供」をしているので、それなりの実績もあり知名度もあるので、なんとか食らいつく余地があるはずだと思ったからだ。

「坂の上の雲」、明治の日本人はロシアに戦いを挑んだではなか。ネヲンは、優秀なるがゆえに常識的な人たちの集団「JTB」には、きっと突破口があると考えた。

団体旅行渋谷支店にて

国内最大級の団体旅行の拠点である、JTB団体旅行渋谷支店を攻略するために、湯の街ネヲンは、大胆な行動をおこした。

ビル群の裏側
ビル群の裏側

その日の朝、ネヲンは一人、JTB団体旅行渋谷支店が入るビルの裏口に立った。大都会のビルの表側は綺麗であるが、ひと気のないビル群の裏側は寒々としてギャング映画の舞台のようである。ネヲン、大仕事をまじかにひかえプレッシャーは感じたが、精神的には落ち着いていた。

開店時間の30~40分前になると、ポツリ、ポツリと社員が現れはじめる。余裕をもって出社してくる人達は、勤務中の顔とは違う穏やかな顔をしていた。

「お早うございます。伊豆のホテル アタガワです!」と、大きな声を掛けながらパンフレットに名刺をそえて差し出すと、どの人も軽く会釈して素直に受け取ってくれた。なかには、「ありがとう」とか「ご苦労様」などと、声を返してくれる人もいた。さすがJTBのみなさんは、紳士、淑女であった。

「な~んだ、簡単じゃん!」と、この時は軽いのりで鼻歌まじりのネヲンであった。

が、15分も過ぎると社員達がゾロゾロと列をなしてやって来た。ネヲンにとっては想定外である。さすがは大所帯の JTB団体旅行渋谷支店の出社風景であった。

出社風景
出社風景

こうなるとパンフを手渡すだけで、ネヲンは、いっぱい いっぱいになってしまった。名刺など添えるいとまがない。また、挨拶のほうは「お早う…」とか「ホテル…」とか、とぎれ とぎれになって、自分でも何をいっているのか解らなくなってしまった。

このあわただしかった時間は、アッという間に過ぎ去った。ホッとひと息入れつつ、ネヲンは、支店の入り口の前にたち始業時間を待つ間、気を落ちつかさせながら、これからの店内での手配係りや営業さんへのセールス方法などを、無意識のうちにシュミレーションしていた。そして、思ったより簡単にことがはこんだので、ネヲンは、チョット有頂天であった。

思いもよらないこととなる

業務開始の時刻になった。すると、女子社員がでてきて「ミーティングが始まりますから…」といいながら入口のドアを閉た。ネヲンは「どうぞ」といいながら我が身を少しずらせた。このときは、まだ成功の余韻が残っていて気持ちに余裕があった。

ドアを開ける女性

ややあって、湯の街ネヲンを奈落の底へつき落とす入り口へと舞台がまわった。

再びドアがあいて、先ほどの女性がネヲンに「支店長が呼んでますから」といってフロアー内に招き入れた。このときネヲンに、得体のしれない緊張が走った。

女性のあとについて恐る恐るフロアーに入ると、そこでは全社員が起立してミーティングをしていた。

全員の目が一斉にネヲンに注がれた。突然、大量のフラッシュを浴びせられたようで、頭の中がクラクラとして自分が誰だかなにがなんだか解らなくなった。

支店長のとなりに並ぶようにと女性が促した。

何だ! 何だろう? 営業経験の浅いネヲンは、ついつい弱気になって、ドキドキしながら支店長の隣におずおずと近寄った。

寡黙な支店長がいきなり言った。

「5分間あげるから、あなたの旅館の宣伝をしなさい!」と・・・。

「ドヒェーッ、マジか!?」とネヲン、予想だにしない支店長のひと言に、慌てふためき、脳内は大混乱で心臓がバクバクした。

折角、清水の舞台から飛び降りる覚悟でパンフ配りをし、大きなチャンスをつかんだといのに、湯の街ネヲン、すべてが我流というインスタント営業マンの未熟さが露呈し、まともなプレゼンができなかった。

支店長の「あなたの旅館の宣伝をしなさい」との意味がわからず、「自分の旅館の欠点ばかりを並べたてて、こんな旅館ですが、よろしかったらご送客ください」と、やってしまった。

心やさしそうな幾人かがパラパラと拍手をしてくれたが、ほとんどの営業社員達は、「そんな旅館に、お客さんなんか送れるか、アホ!」と、思ったであろう。このときネヲンに支店長を見やる余裕があったら、こんなダメ男のために貴重な時間を無駄にされたと苦虫を潰したような顔の支店長をみただろう。「あぁー もうバカ バカ!」である。残念!

その後、どのようにして支店を退出したかの記憶がない。気がつけば、道玄坂のビルの合間の天を仰いでいた。青空に白い雲がポッカリと浮かんでいた。「負けてたまるか!」、尻のポケットには、「坂の上の雲」の文庫本が、ねじ込まれていた。

世の中には天才がいる

華のある人
華のある人

人間関係の構築と、口でいうのは簡単だが実際にはとても大変なことだ。しかし、世の中にはこんな大変なことをたった一晩、酒の席を同じくするだけで構築してしまう天才もいる。

その人は、なんと、ネヲンの上司・ホテル アタガワの支配人である。支配人のそんな威力を目のあたりにしていたネヲンは幸運である。自分が結果を出す方法は、アリのように這いずり回るしかないと悟れたからである。良いライバルに恵まれたネヲンである。

この支配人には特技があった。宴会芸である。

童謡の「夕日」ぎんぎんぎらぎら夕日が沈むに合わせて、お相撲さんが四股を踏むような格好で、両手をひらひらさせて夕日が沈む仕草をするのだ。支配人が、ある時の忘年会でその芸を披露した。

ネヲンたち一同は、一瞬沈黙、そして拍手喝采、大爆笑であった。

仕事をする人は、いいもの、素晴らしいことは直ぐに取り入れるべきである。ネヲン、この支配人に十八番のぎんぎんぎらぎらの伝授を受けなかったことを悔いた。

もし、JTB団体旅行渋谷支店の支店長に「5分間あげるから、あなたの旅館の宣伝をしなさい!」といわれた時に、ぎんぎんぎらぎらとやっていたら、ネヲンは伝説の営業マンになっていただろうと。

ホテル アタガワ

海沿いに建つ「ホテル アタガワ」には、新館と旧舘があり総客室は45室。通称300人の収容と全室オーシャンビューと謳っていたが、実際には250名そこそこの収容で、すべての客室からの眺望がバッチリというわけではなかった。宴会場は最大150名で、パーテーションで3っつに区切れた。海を見下ろす大浴場からは、昇る朝日が素晴らしかった。

慰安旅行の宴会風景
団体旅行の時代

ネヲンは、なにごとも自分に都合よく考えるタチであった。団体さんを効率よく集客するには、団体旅行専門の旅行会社にセールスをかければいいと考えた。それで、JTBの団体旅行渋谷支店に挑んだのであった。

しかし、ホテル アタガワは、団旅渋谷が扱う大型団体向きの旅館ではなかった。団旅渋谷で扱う客層は、バス10台とか20台とかの大型団体であった。ネヲンが考えていた40~50人程度の団体さんとは、取扱う団体客の桁がまるっきり違っていたのである。

その後もネヲンは、団旅渋谷での営業を頑張ったが成果はゼロであった。ネヲンのドジもあったが、しかし、収穫もあった。一流大学を出て一番人気の企業に勤める人たちとの交流を持てたことで、世の中にはいろいろな人たちがいることを知った。

大手旅行会社は、凄い!

これまで大手旅行会社は、全国の支店で発生した個々の予約や取り消しを、東京の手配センター経由で、各旅館と直接電話でやり取りをしていたが、あるときJTBは、こんな業務を一変させた。

テレックスのテープ
テレックスのテープ

電話での予約や変更のやりとりがなくなり、深夜0時になるとテレックスが、強烈な機械音をたててヘビのように細長いテープをはきだした。そのテープには不規則な穴があいていて暗号のようであったが、それに要件が書き込まれており電話の代わりとなった。

同時に、JTBの店舗内では旅館販売用の資料が完璧に整備された。各旅館の温泉の効能や施設的な詳細な情報はもちろん、温泉街の歩きかた地図や付近の観光地などが余すことろなく記載されていた。

それに伴い、それぞれの温泉地内の各旅館には、01、02、などと格付け的な番号を付与した。その番号は、社員たちが旅館を選択する順位の目安でもあった。ちなみに、ホテル アタガワは「06」であった。06 という番号は、ただ待っているだけではなかなか順番が来ない。

これらのシステム化の一環では、宿泊クーポンや電車のきっぷなども瞬時に発券されたので清算業務も簡素化された。よって、経験のあさい社員でも、お客さんの要望通りの旅館がいとも簡単に販売できるようになった。

この業務システムの強化は、店頭販売員たちの労力を削減したが、同時に、社員たちを金太郎アメ化し、現地の情報提供者である旅館の営業マンのやる気をそいだ。

JTB新宿西口支店にて

新宿駅西口の風景
現在の新宿駅西口の風景

街の旅行業者のようなイヤミな対応と違ってJTBの社員は、どこでも、にこやかに応対してくれるが、その先の関係が構築できない。暖簾に腕押し、取り付く島もないというやつである。これでは、コンピューターによる機械的な送客以外は期待できない。JTB にアタックしようするネヲンの今の大きな悩みとなった。

すなわち、ネヲンの営業をはばんでいるのが「融通の利かない奴」と「クソ真面目な奴」である。そして、一番始末が悪いのが、無表情で「ハイ、わかりました」とオウム返しを連発するヤツである。コイツ等には、ほんとうに参った!

水虫とおともだちのネヲンは、革底の靴を愛用していた。革底靴は穴があくのが早い! 穴は開いても先は見えなかった。

押しても押しても響かない。外ズラはいいが愛想のないJTB社員たちへの営業は、小説「坂の上の雲」の、旅順港を一望する203高地の奪取を目指し突撃を繰り返す日本軍の兵隊さんと同じであった。山頂のトーチカから機関銃を乱射するロシア軍にむかって、歩兵銃を携え突撃をしているみたいだった。

弱気なっているネヲンの脳裏に、乃木大将の「突撃!」の号令が響いた。

新宿西口は、奇しくも安田生命の入社試験で人生のダメをだされた場所であったが、営業での成功の入り口でもあった。

お客さん入れたよ!

新宿西口支店で、営業の神様がほほえんだ!

いつものようにカウンターセールスをしていると、傍らの若くてやんちゃそうな社員がネヲンの差し出したパンフをチラッとみて「お客さん入れたよ!」とぶっきらぼうに言った。

ネヲン「有難う御座います!」と言いながら、その若者の顔を見て閃いた。

そうだ! 買わないヤツに売る努力をするよりも、買ってくれる人を探せばいいのだ、ということに気が付いた。嫌味な個人旅行業者のじじいなんぞは、糞食らえであった。スッキリ!

営業には二種類ある。そう、売る営業うと買ってもらう営業である。自分がどちらのタイプであるかがわかれば、営業って結構気楽な職種である。当人の地でいけばいいからである。

優秀な社員が集まるJTBいえども全員が同じではない。少数であるが、会社の指針やシステムにしばられない社員がいることを知り、ネヲンはJTB攻略の糸口を見つけ営業スタイルを変えた。

ネヲン、JTBの支店に入ると、まず、カウンターにいる社員たちの顔つきや服装、動きをそっと観察した。アウトサイダー的な社員を見つけるのである。特徴のなさそうな奴は無視!

この新宿西口支店には、後日談がある。ネヲンが総案の所長として下呂温泉に泊まったとき、この時期、この支店にいたという真面目そうな支配人がいたのである。残念ながら、ネヲンの選別からは漏れていたので、お互いに、ヤァー、ヤァーという再開ではなかったが、楽しい思い出話ができた。

下呂温泉街
下呂温泉街の風景

ちなみに、このシステムを無視するようなJTBの社員たちの行為は規律違反にはならない。社員たちには、お客さんの希望であれば、どこの旅館を手配してもよい権限があったからだ。

さて、この戦術はみごとに当り送客が増えた。そして、思わぬ波及効果もでた。これまで、JTBと旅館を結ぶのはテレックスだけであったが「ネヲンさんいますか」と、JTBの社員からじかに宿泊依頼の電話がくるようになったので、旅館の仲間たちは、天下のJTBから名指しでの電話が入ることを凄いと評価してくれた。

曲がりなりにも、ネヲンが成果を出せたのは、社長の指示(?)に従わず3日間遊ばなかっただけである。ただ、やみくもに歩いただけであった。

蒲田支店にて

この日、ネヲンは蒲田支店にいた。11月も下旬になると大都会・東京の街にも木枯らしが吹いていた。

蒲田駅前の風景
現在の蒲田駅前の風景

JTBの支店営業に対するコツをつかんだネヲンは、いつものように店舗の片隅で社員たちの動きを見ていた。余裕とは恐ろしいもので、カウンター越しに対話している、年配で管理職風の社員とジャンバー姿の若い二人連れのお客さんとの雰囲気があやしいことに気が付いた。JTBのこの職員には、売り上げよりも、煩わし仕事にかかわりたくない様子がありありであった。

ネヲンは、その席の隣の社員をめがけて立ち上がり、うまく接触し、セールストークのあいまに隣の人たちの会話に耳をそばだて、広げられている企画商品を盗み見た。

会話の内容が掴めた。忘年会パックの20名様からというところで折り合いがつかないのである。はなからやる気のないJTBのオッサンは「規定が…」の一点張りである。お客さんは、一班で15~6人の班が幾つもあるから「そこを何とか…」と、食い下がっていたのだ。

交渉の決裂が必死とみたネヲンは、ここでの営業はやめて、店外で2人連れお客さんにアタックしようと思った。店舗の前には蒲田駅に向かう歩道橋があった。歩道橋のうえで待つことにした。案の定、ここからは店舗が丸見えである。ネヲンは、お客さんを見逃してはならずと人の出入りを確認しつつ木枯らしの寒さに耐えて待った。

歩道橋

二人の若者が歩道橋を登って来た!

ネヲンは「実は、JTBでのお話を隣席で聞いていました」と断りをいれパンフと名刺を差し出し、続けて忘年会企画のチラシを手渡しながら、若者たちにプランの説明をした。

話はこの橋上であっさりと決まった。旅館にとってはおいしいコンパニオンパックであった。

若者たちも目的が達成され、ホッとした笑顔を見せた。

この若者たちは、なんと全日空の羽田空港の地上勤務者で作る労働組合の組合役員であった。15~16人を一班として、10班でローテイション勤務をしているそうだ。自分たちの班だけではなく、仲のいい人がいる3つの班の来館も確約してくれた。なお、残りの班の人達には我々の結果を見て、よければ次の機会に必ず紹介するとの約束までしてくれた。

ちなみに、ネヲンが必死に捕まえたお客さんに、現地での対応に粗相があるはずが無い。当然、若い人達は喜んで帰り、残りのグループを次々と紹介してくれた。蒲田と伊豆は、旅行距離も丁度いい。時期がくると、毎年来てくれた。そして、何人かは、新婚旅行で来てくれた。

さらに、オマケもついた。ネヲンに対する社長の評価があがった(?)のである。全員集合の席などで「あれはど不愛想だったネヲンさんが、お客さんのまえでニコニコするようになった」と、人は変われるという事のたとえとして機会あるごとに持ち出した。

ネヲンがここまでこれたのは、上司の支配人のお陰である。

あるとき、その支配人は言った。「オレは、お客さんにスリッパで横っ面をひっぱたかれても平気だ」と…。ネヲンの頭のなかにはない発想である。こんな心強い支配人なんてめったにいない。

お客さんの可愛いさと、同時に、怖さも知ったネヲンは、何かあったら支配人の後ろに隠れればいいという逃げ道を作り、プレッシャーを軽減した。なにごとにも、気楽に考え前むきなネヲンであった。

蒲田のさくら咲く

蒲田の桜
蒲田の桜 あやめ橋付近

さらに、話は続く。

この人達は全日空の「健保組合」まで紹介してくれた。健保組合への訪問とはいえ、全日空の本社ビルに出入りできるのはとても気分がよかった。そこでは、組合員の旅行だけではなく、無理難題な航空券の問題まで解決してくれた。蒲田で、さくらが満開となった。

パンフレットスタンド

JTBという大組織内のいわばアウトサイダー的な社員たちに食らいついたネヲン、こんどは、正統派の社員たちと共生しようと目論んだ。この発想の原点は「坂の上の雲」である。あらゆる困難な場面で、全力で取り組み乗り切った明治の人たちの物語が大いに役立った。

そんな魂胆を秘めてネヲンは、いつものようにJTBの支店に入り店内をキョロキョロとみまわした。そこで目についたのがパンフレットスタンドだった。

パンフレットスタンド
店舗内のパンフレットスタンド

それは、どこの支店にもならべ置かれていたが、とくにおおきな支店ではスタンドのジャングルのようであった。そこには「ペラ」と呼ばれるA4サイズの一枚物のチラシが、ぎっしりと差し込まれていた。

ネヲン、ここにヒントがありそうだとひらめいた。真剣に仕事に取り組んでいるときは、いつも神様が応援してくれる。不思議といえば不思議だか、当たり前といえば当たり前だ。

パンフレットスタンドから適当なペラを抜き出して、製作者は誰だ? 発行者は誰だ? 管理者はだれ? と、いろいろと考えながらながめまわした。

すると、裏面の下のほうに小さな字で「JTB東京営業本部」と書かれた一行が目にとまった。さっそく、顔見知りの社員に「これって、このカタログを管理しているところ?」と尋ねると、答えはネヲンの予想通り「そうですよ」であった。彼は、親切にも黙って所在地をメモしてくれた。

JTB東京営業本部

東京営業本部は台東区の上野にあった。街は、上野公園の桜が満開となり、パンダ人気もともなって大賑わいであった。「犬も歩けば棒に当たる」というのには、幸運説と災難説があるそうだが、ネヲンには、幸運の棒が当たった。

上野動物園のパンダ
上野動物園のパンダ

東京営業本部では、梨本課長との出会があったからだ。この梨本課長は、社内では梨本三兄弟として有名人であった。梨本課長はその末弟で、二人の兄は、北関東管内でそれぞれが支店長として活躍していた。そして、本人も間もなく支店長として転出していった。

梨本課長は気さくな人柄で、ネヲンの思ったことをストレートに口にする性格が気に入ったのか「ネヲンちゃん、ネヲンちゃん」といって可愛がってくれた。

ある日、梨本課長は、酒10本付または5本付という「十兵衛さん五右衛門さん」という企画商品を作成していた。

ネヲンの顔を見て「オマエのところも参加しろよ」と誘ってきた。が、「これじゃあ~、儲からないからイヤだ! 酒1本付ならいいよ」とネヲンが答えると、「バカヤロー、この企画でそんなこと出来る訳ねだろう~」といったあと、「それもそうだよな~」のひと言で話が終わった。こんな梨本課長とのお付き合いはとても気が楽であった。

子規庵
子規庵

ここ上野には、もう一つの楽しみがあった。「坂の上の雲」のもう一人の主人公・正岡子規が暮らした子規庵のある根津、谷中界隈が近かったので、時間に余裕があるときはブラブラと散策した。

ある日、東京営業本部にて

ある日、ネヲンは梨本課長に尋ねた。「うちの旅館で作った独自の企画商品(チラシ)を、支店のパンフレットスタンドに置いてもらえますか?」と。

「あゝ、いいぞ!」と、梨本課長は二つ返事であった。さらに「なんなら、俺のところへまとめて送れば、各支店に小分けして配送させるぞ」と言ってくれた。大会社の社員は、懐に入った者には大様である。

「大企業(JTB)は、ウチみたいな零細企業(旅館)なんて、相手にしない」と考えるのは誤りである。だが、これは窮鳥懐に入ればという話ですから、まずは、しっかりとコミニュケーションを取る努力をしましょう。

磯料理(優)コース を携えて

ネヲン、早速、伊東美術印刷の営業さんと独自の企画商品(以下、チラシ)の作成に取り掛かった。そしてすぐに「磯料理(優)コース」が完成した。

磯料理マル優コースのチラシ
磯料理マル優コースのチラシ

湯の街ネヲンは、チラシを各支店へ直接配り歩く計画であっが、まずは、梨本課長の好意に甘えて、JTB東京営業本部から各支店への配送をお願いした。このシステムにのれば、JTBの真面目な社員達は、自社商品だと錯覚してくれると思ったからである。

この作戦は見事に的中した。ネヲンがチラシを持って各支店に出向くと、すべての社員がその存在を認識していた。さらに、驚いたのは「磯料理(優)コース」の取り扱い説明及び手配方法が、各支店のコンピューターに入力されていたのである。さすが梨本課長! 大会社は、凄いと思った。

さて、大企業の上意下達の凄さに驚いたネヲンであるが、これは、あくまでも周知徹底されたということで、売り上げが保証されたわけではない。

そこでネヲンは、売り上げアップを目指して行動を起こした。

スタンプを押す

スタンプを押す

ネヲン、JTBのカウンターでチラシの束を見せながら「支店のスタンプを貸して」と頼むと、どの社員も決まって怪訝そうな顔をする。

再度、スタンプを押すしぐさをしながら頼むと「私がやりますよ」と言いながらもカウンターの下からそっと取り出す。

すかさずネヲンは、笑顔で「いいよ、いいよ、みなさんに手間をかけさせては申し訳けありませんから」と、いいながら、手際よくポンポンと、「お申し込みは」の空欄に、支店名などが入ったスタンプを捺す。

それには、ネヲンの魂胆があった。

JTBのカウンターでチラシにスタンプを捺す旅館の営業マンなんて前代未聞である。誰でも、そんなもの珍しいものには興味がわく。もの見高い社員たちに、磯料理(優)コースを、再度、認知させるためであった。

余談だが、このとき初めてスタンプ台が不要なシャチハタを知った。便利なものが出来たな~と思った。

この話には続きがある。

ネヲン、最後まで人の良さそうな営業マンのフリをして、スタンプを捺し終わったチラシの束を両手にもって、パンフレットスタンドを目で指しながら、「隅っこの方に入れときますから」と、動き出す。「そこまでしなくても」の、声を聞きながしながら…。

クライマックスである。

誰がパンフレットスタンドの片隅になんかに置くものか、とネヲン。一番目立ちそうなところへ、そ~っと差し込む。ある時は、他のチラシを押しのけて…。

最後に、営業マンはタイムリーヒットは打てても、試合を決める決定打は打てない。なぜなら、会社には9回の裏がなくず~っと続くからだ! さて、さて、また歩き始めよう! 犬も歩けば棒にあたる。

ページトップの画像