猫のイラスト
舘山寺温泉街

ある営業さんの物語

この物語の主人公「天城四郎」は、前職の生命保険会社に、営業幹部候補生として入社し、以来、順調に出世し、群馬県のとある営業所長を経て、地域を統括するエリアマネージャーまで勤めあげた筋金入りの生保マンであった。

天城四郎さん

浜松駅前の風景
静岡県浜松市 浜松駅前の風景

この物語は、三人の子供たちが次々に独立し、孫にも恵まれ、それぞれの家族が立派に生活をしていることと、夫婦二人きりの日々になったことで、畑でも耕し、少々の株でもいじりながらの悠々自適な生活をもくろみ、生命保険会社を早期退職し、生まれ故郷の浜松にUターンした「天城四郎」の話である。

しかし、これまでの仕事一筋の生き方からか仕事へのムシが動き出し、浜名湖かんざんじ温泉の「ホテル舘山寺」に再就職した。旅館に就職したのは、たまたまの結果であって、たいした理由はない。簡単に言えば、仕事には自信があったので、職場はどこでもよっかたのだ。

ホテル舘山寺は、収容人員300人で、先代からの家業を継いだ二代目夫婦が経営する温泉旅館で、浜名湖の内浦湾沿いにある評判のいい旅館である。

再就職先のホテルから伝え聞くところによると、天城さんは、館内の作業がピークをむかえる夕刻からは、宴会場への料理運びから配膳の手助けまでし、宴会が終ったあとも残飯の始末まで、おねえさんたちと一緒になって汗を流しているそうだ。

また、どんな作業時でもネクタイをゆるめず、背広も手放さずに黙々と体を動かすそんな仕事ぶりに現場の仲間たちの好感度はうなぎのぼりだそうだ。

そして天城さんは、前職が生保の所長ということと、この現場での仕事ぶりが評価され、まもなく支配人に抜擢されたという。

湯ノ街ネヲン

もう一人の主人公「湯ノ街ネヲン(通称・ネヲン)」も社会人のスタートのきっかけは生命保険会社であった。だが、天城さんのようにカッコいいスタートが切れたわけではなく、入社試験では鼻も引っ掛けてもらえなかった。でも、ネヲンに社会の厳しさを教えてくれたいい会社であった。

ブッブー
ブッブー

ネヲン、大学卒業時にある生命保険会社の入社試験を受けた。保険の仕事に興味があったわけではない。たまたま、事務職ありというのが目にとまっただけである。

試験会場は、新宿駅西口正面の大きな本社ビルの一室で、当日のスケジュールは、午前中が筆記試験で、午後が面接であった。ネヲンは、学内選抜三名の内の一人として臨んだ

たまたま隣席になった、イケメンで快活そうな学生が話しかけてきた。「僕、早稲田なんですが、ここ内定もらっているんです。あなたは?」と、

すでに答案用紙が配られはじめていたので、オレは、右手をひらひらさせてノーのサインを出しただけであったが、オレ、内定という言葉をこの時はじめて知った。ネヲン、世間知らずのアホであった。

午後、面接がはじまると、隣席の彼は、第一グループとして真っ先に面接会場へと行ってしまった。オレはというと、散々待たされて陽が落ちるころになって、やっと最終グループで呼ばれた。

そこで、面接官がいった。あなたは語学の成績がいいようだから、それが活かせる職場を選んだらどうですか、と。

面接官の言葉を直訳すると、大企業の事務職とは、将来、会社を背負う有能な人の職種なんです。あなたのような三流大学の人は、対象外です。と。

じゃあ、なぜ受験させたのだと問うと、最初から三流大学お断りというと、世間がうるさいでしょう。と

この時、あまりにも無為無策な学生生活を送ったオレには、上流社会での居場所はないと直感した。そんなわけで、下流社会で生き抜くには、体力が一番だと心して、自衛隊にもぐり込むんだ。若いって素晴らしい!

団体旅行時代の恩恵

ネヲンは、3年間の自衛隊生活を終えると、気候温暖と職住接近の職場を求めて伊豆熱川温泉の温泉旅館に就職した。運がいいとはこんなもので、その後の総案時代と合わせて45年、長く続いた団体旅行ブームのなかで、川の流れに身をまかせるように、ゆるくぬくぬくと生きてこられた。

いい時代のサイクルにめぐりあっただけではなく、いい会社といい上司にも恵まれた。一歩間違えれば身を持ち崩したかもしれない場末の温泉旅館には、なんと、人使いの名人の社長と営業の天才の支配人がいたのである。

職域の垣根が低い小さな温泉旅館だからできたことだけど、事務タイプのネヲンに、社長は、不愛想でぶっきらぼうで顔からして営業向きではないと、ひどいことを言いながら、営業への道をきり開いてくれた。

また、支配人は天才ゆえに具体的な指導はなかったが、営業に関する天賦の才をありのままに見せてくれた。そんな支配人は、オレには「モノやサービスを売る」という営業はできないタイプだと悟らせてくれた。

輝く支配人のそばにいて、コイツ等とは、同じ土俵では勝負ができないと知ったネヲンは、どうしたら対等に勝負ができるのかと考え続けた。

そんな時、思い出すことがあった。

ネヲンが自衛隊の新隊員だった頃、どんな理由だったかは忘れたが、200人ほどの新隊員を一堂に集めて生命保険の勧誘会があった。その催しがはじまると、十数名の女性たちが熱心に勧誘をはじめた。この時ネヲンは、声をかけられたら契約をするつもりでいたが、ネヲンには声がかからないままにその催しは終わった。

このことと支配人の仕事ぶりが重なって、ネヲン、営業とは「売る能力がなければ、買ってくれる人を探せばいい」ということに気が付いた。ネヲン、自分流の営業極意をつかんだ。

天城さんがやってきた

今日も暑くなりそうだ。9月も末だというのに強い日差しが差し込んでくる。冬は温室のようで天国だが、この時期は勘弁してよといいたくなる。ここは、埼玉県の川越にある、湯の街ネヲンの「総案」の事務所である。

残暑が厳しいある朝、ネヲンの事務所に、オレと同年代の「天城さん」がやってきた。初対面である。やや背丈は低いが体形はガッシリとしていた。容貌からの印象は、真面目そうであり意志が強そうであった。

天城さんは、浜松の裕福な農家の三男坊として生を受け、お隣り愛知にある大学を卒業し生命保険会社に入社した。入社後、都心にある寮完備の研修所で、同期生60人と共に、一年間もみっちりと鍛えられたという。

生まれ持った性格もあろうが、天城さんは、地獄のような教育を自らの意思で乗り越え、逆境にめげない打たれ強いタイプの営業マンに育った。

生保の営業は「断られた時から始まる」というのが口ぐせの筋金入りの生保マンになった。

参考までに、三男なのに四郎という名がついたのは、強くたくましく育ってほしいと願う両親が、三四郎と名付けて役場に届けたが、戸籍係りの職員が、誤って四郎と記載したためだそいです。

コーヒーミル
コーヒーミル

「暑かったでしょう」といいながら予約手配担当の家内がコーヒーを淹れに席を立った。コーヒーミルの回転音がやむと、室内には香ばしい薫りがただよった。

天城さんは、喜怒哀楽が顔に出ないタイプのようだ。が、コーヒーを前にしてわずかに表情をくずし、ステックシュガーを半分、コーヒーフレッシュを丁寧に落とし、美味そうにゆっくりとすすった。

総案という仕事

「総案」とは、全国ホテル旅館総合案内所の略称で、その仕事の内容は、契約をしたホテル旅館を街の中小旅行業者に売り込み、かつ、集客することである。ありていに言えば、情報収集力に乏しい中小の旅行業界と旧態依然とした旅館業界とをとり持つ仲介業である。

総案とは
総案とは

本来であれば、宿泊先を確保したい旅行業者と、部屋を埋めたい旅館は、簡単にマッチングするはずであるが、両者の間には、ぬぐい切れない不信感がつきまとっていた。

この不信感とは、一部の旅行業者がクーポン券(旅館券)を不適切に使用したことと、一部の旅館が、予約時点の約束を反故にする行為であった。

旅館と旅行業者、お互いの要望が一致しながら疑心暗鬼が渦巻く両者の間に、コーディネーターとして割り込んだのが「総案」である。頭のいい先人が観光業界に咲かせたあだ花である。

団体旅行がなくなった

昭和40年代の初頭までは、旅行は気候のいい春と秋にするもの、という時代だったが、40年代の後半になると、個人的にはマイカーによる夏休みの家族旅行が当たり前になり、団体旅行は春と秋という旅行シーズンがなくなり、年間を通して全国の観光地に御一行様が溢れるようになった。

しかし、平成20年代に入ると、40年間以上も日本の国中を闊歩していた団体旅行さんたちの動きがめっきりと悪くなった。昭和・平成時代の団体旅行ブームが終りをむかえようとていたのである。

天城さんがやってきた

人間にとって「旅」とは、切っても切り離すことが出来ないものであるが、高度成長期にはじまった団体(慰安・観光)旅行は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣と同じで、時代のはやりものである。流行物は必ず廃れる。人間の本能が突き動かす「旅」と「団体旅行」は、全く別ものなのである。

バブル期を経て、この団体旅行ブームの終焉が決定的になった頃、天城さんは、月一のペースでネヲンの事務所に顔を出すようになった。

あきらめの早いネヲンは、団体旅行という大河が干上がった以上、なにをやっても無駄だと思っていたが、天城さんが元生保の営業所長だったことを知って、もしかしたら打開策のアドバイス、または、新しいスタイルの営業を伝授くれるかもと期待して食いつくことにした。変わり身の早いネヲンである。

セールスレディの親玉

ネヲン、営業というと、なぜか生保のセールスおばちゃんが思い浮かぶ。

今ここにいる天城さんが、そのおばちゃんたちをたばねた親玉だったのかと思うと、物見高いネヲンの胸は高鳴り、天城さんの一挙手一投足に興味津々であった。

同行セールス

そんなネヲンの気持ちを知ってか知らでか、今月も天城さんは、同行セールスのために元気な顔でやって来た。

同行セールスのイメージ
同行セールス

「同行セールス」とは、文字通り総案と旅館の営業さんとが一体となって、旅行業者にセールスをかけることです。では、なぜ同行セールスをするのかというと、営業というのは、結構、厄介なものだからである。

温泉旅館は経営規模が小さいので、専任の営業マンというのは少なく、ほとんどの旅館が、フロント兼営業というような形態をとっている。早い話が、現地での仕事が本業で、営業は片手間なのである。

旅館の社長さんは、そんな即席の営業さんのために、負担なく、それなりの効果が期待できる、いわば、営業代行業のような総案を頼ったのである。これが、同行セールスの始まりです。

では、なぜ天城さんのような営業の猛者が同行セールスをするのか?

理由は単純で、天城さんのような元営業職の人は、営業の怖さを知っているからである。営業の猛者とは、同じ職場で同じエリアを長く担当している営業マンのことで、職替えをしたりエリアが変わると、たちまち新人営業マンになってしまうで、営業一年生の苦労をしたくないからです。

同行セールス秘話

前職の旅館時代のネヲンは、相手と親しくなることが営業だと考えていた。その第一歩は、旅行業者の「遠路はるばるご苦労様です」のひと声が、成果の入り口だと思っていた。

だからネヲンは、総案のあとについてまわる営業なんて、営業マンをダメにする以外、なんのメリットもないと決めつけていた。

そんなネヲンが、旅館の営業マンをダメにする側の総案を起業するなんて、世の中とは皮肉なものである。

話は変わるが、年に数回顔を出す優秀な営業マンがいた。ネヲンが「あなたほどの優秀な人がなぜ同行セールスを?」と問うと「基本にかえるためで、ここからの集客なんて期待していない」という返答であった。

ネヲンちょっとムッとしてさらに問うと、全国を回り集客を一手に担っていた彼には、そうとうの重圧や悩みがあったのだろう。営業テンポがいいあなたに同行していると、不思議と営業の基本に戻れ、迷いが吹っ切れ、明日からいい営業ができるからだといった。

ネヲン、本来は営業があり好きではないので、訪問先では最低限の挨拶だけですぐに席を立って次へ移動していた。こんな営業方法に多少の疑問を持っていたネヲンだが、自己流のスタイルを認められたようで、内心嬉しかった。

トートバックに詰め込んで

天城さんは、不織布のトートバッグに営業の補助資料をいっぱい詰め込んで持ってくる。その重さたるや自然に力瘤が出るほどであった。

重たいトートバッグ
トートバックにいっぱい詰め込んで

その中身は、エアーパークやうなぎパイファクトリーなどの観光施設のリーフレットを広げ、一枚のペラに戻し、クリアファイルに挟み込んだもので、営業件数と同じ20冊もあった。

ネヲンは、そのファイルの束を見てオレのパンフレット冊子「いい旅」と同じだと思った。オレも大手生保会社の所長と同じことをやっていたのかと思うと嬉しさがこみ上げてきた。

だが、ある営業先で天城さんのとんでもない行いを目にしてしまった。

天城さんから分厚いファイルを受け取った旅行業者は、資料収集の労をねぎらいながらアレコレと問いかけた。が、とある観光施設の具体的な話題になったときから天城さんの言動が不自然になった。天城さん指先をなめなめリーフレットの束をめくるが、なかなか目的のリーフレットを探し出せないでいた。

旅行業者の質問に対してもウヤムヤな返答しかしない。しかも、リーフレットを縦にしたり横にしたりしながらである。彼の受け応えからは、現地の情報をしっかりと把握しているようには聞こえない。

ネヲンにとって、生保の所長といえばバリバリの営業マンだったと思っていたので、天城さんのこんな所業が不可解であり驚きであった。

ネヲン、なんでだ? と考えた。

ウン?! ふと思い当たった。

保険屋さんは契約更新などをすると、最後に決まって虫眼鏡で見ないと読めないほどの細かい字で印刷された商品説明書などを置いていく。たぶん、保険屋さん自身も読んでないだろうと思われるアレである。

天城さんは、保険屋時代の昔の営業手法を継承し、たぶん誰も読まないであろう商品説明書の類の延長線でリーフレットの束を差し出しているのだろうと、ネヲンは思った。

同じような冊子を持ち歩く二人であったが、ネヲンのパンフレット冊子「いい旅」には、旅館の企画商品のチラシだけではなく、己が楽をするための下心もパンパンに詰めこんでいた。

パンフレット冊子「いい旅」

「いい旅」の表紙

ネヲンは営業があまり好きではないが、総案の仕事は、営業をおろそかにはできない。

そこで、楽をして営業効果を上げる方法はないかと考え編み出したのが、左記のパンフレット冊子「いい旅」だ。

当時、旅行業者の店頭には、各旅館がおもいおもいに作ったチラシが山のようにあり、無造作に積み上げられていた。ひどい店舗では、ホコリがかぶっていた。

そこに目をつけたネヲンは、当総案の会員のチラシを集め、チョット手間をかけ、他社の人たちには簡単にまねできない一冊の本のように仕上げた。

これを、貴社(あなた)のために、夜も寝ないで作ってきましたという顔で差し出すと、賞賛と感謝の言葉が帰ってきた。黙って手渡すだけで営業効果はバッチリであった。しゃべるのだけが営業ではない。

住所録

天城さんが、いつものよう自信にみちあふれた顔でやってきた。もう何回目であろうか、月一のぺースである。

住所録の作成
住所録の作成に異様な執念を燃やす

天城さんは、朝、車が動き出すと、きまって横向きA3サイズの集計用紙を取り出す。それには、下手糞な字で旅行業者名と住所が書いてある。私製の住所録である。

そして、「今日の営業先は、どちら方面ですか?」と問う。旅行業者名簿を作る体制固めのためである。

天城さんの問いには答えず、ネヲンには、間もなく団体旅行の時代が終わり、街の個人旅行業者が消滅することが目に見えていたので、無駄なことをしているなと思いつつ、「天城さん、なんでそんなに名簿作りに執着するの?」と、問うた。

すると「後続のために資料として残すんです」と、力を込めて返した。

「なら、せめてワープロかパソコンを使えよ」と、ネヲンが嫌味を込めていうと、「いいんです! 書類は心を込めて書くところに意味があるんです」と言い返す。

自信満々の石頭野郎ほど扱いにくいものはない。ネヲンは、元生保の所長への尊敬の念が、ますます薄くなった。

大会社の営業所のトップともなると平時は暇である。理由は、部下が優秀だからだ。仕事といえば本部に上げる日報ぐらになる。だから、住所録なんてものを作り始め仕事熱心のようなふりをする。

ネヲン思った。もしかしたら天城さんは、日本一幸せなサラリーマン人生をおくった人ではないかと思った。天城さんの脳の回路は絶頂期(所長時代)のままストップしていて、今もその回路の延長線上で仕事をしているように見えたからである。

キョロキョロする
旅行業者宅で表札を探し回る

旅行業者名簿作りに異常な執念を燃やす天城さんには極めつけの行動があった。それは、バス会社の OB などの外務員宅を訪問した時にみせる。当然、外務員宅には旅行会社などの看板がない。そんな家で表札が無かったり、本人が不在等で名刺が手に入らないときである。

「所長、ここは?」の問いに、オレは「なんとかさん家(ち)だよ」と生返事をする。彼の名簿作りに協力する気がないのと、年のせいでとっさに名前が出でこないからである。

すると天城さんは、住所・氏名が書かれたポストなどがないかと、玄関先はおろか門柱の裏側までくまなく探し回るのである。

クソがしたくなった犬のように、せわしくウロウロと動きまわる。オレは、かわいそうな習性だなとおもいつつ、隣近所の人がみたらドロボーの下見ではないかと疑われそうなのが気になった。

しかし、住所録に執着する天城さんも現場を離れるとなぜか淡泊になる。事務所にもどっても、不明の旅行業者欄を埋めようとする気配がない。不愛想なオレを無視して家内や事務員に聞いている様子がない。「教えて」というのがキライなタイプなのかな?

ラーメン大好き

ネヲンは同行セールスが楽しみであった。営業さんが昼メシをご馳走してくれるからだ。ちなみに、旅館業界の慣行で、営業さんの経費はすべて会社が負担した。といっても経費は無限ではなく、昼食は1000円ぐらいが相場であった。

ラーメン
天城さんの大好物のこってり系のラーメン

まもまく11時半になる。「今日のお昼は、ナニにしましょうか?」と、ネヲンは天城さんにお伺いをたてる。

「いつもの」が、天城さんのいつもの返事である。

「はい、わかりました」オレは少々イヤミっぽく返す。「いつもの」とは、濃厚こってり系のラーメンのことである。これって、初めてのときは驚いた。てっきり、和食かソバだろうと思っていたからである。

お店に入ると、天城さんは、ミニ丼付きのラーメン大盛セットと餃子を平然と注文する。そして、運ばれたラーメンに、おろしニンニクをたっぷりと入れて美味そうにすする。餃子も然り。食欲旺盛である。

おいおい、これが営業マンの昼食メニューかよ? 営業のマナーは? と思ったが、オレもラーメンが好きだったので黙ってご相伴にあずかった。

カセットテープ

温泉旅館と旅行業者は、持ちつ持たれつの関係ある。だからといって、すべての両者がフレンドリーかというと、そうではない。そこには、売り手と買い手という関係があるからだ。

ラジカセ
営業トークがいっぱいつまったラジカセ

個々の温泉旅館と旅行業者の間でいい関係を作るには、お互いの努力によって信頼度を高めあわないと築けない。

この信頼度を高める第一歩が営業活動である。

信頼度は、顔を合わせる機会が多いほどアップするという。

総案が旅行業者との結びつきが強いのは、同じエリア内で長きにわたり営業をしているからだ。ネヲンの「こんにちは!」のひとことで、すぐに、おたがいが「やあ、やあ」となる。この雰囲気を利用したのが同行セールスである。

天城さん、さすが元生保の所長さんだ。この空気を察知する名人である。店内の空気が変わると、すかさずサッと一歩踏み出し「ホテル舘山寺の天城です」と名刺を差し出す。そのタイミングが実にいい。

名刺交換を終えると天城さんは、体内ラジカセのスイッチを「ON」にし、いつでもどこでも寸分たがわぬセールストークをながす。これって、毎回、相手が違うのだから、それはそれでいい。

天城さんのセールストークは、暗記したものをただ繰り返すだけの並の営業マンとは異なり、話し方こそ穏やかであるが、そこには、生保セールス特有の、つかんだ獲物は絶対に逃がさない、という粘り強く強烈なものがあった。

このトークに気おされた旅行業者は、ネヲンに救助のアイコンタクトをそっと送る。これ、説明や紹介に熱中している天城さんは気が付かない。

救助の信号を受信したオレは、これでもかと話を続ける天城さんの熱弁をさえぎるように、関係のない話題をふって会話に割りこむ。と、旅行業者さんはホッとした表情でオレの話に乗ってくる。

すると隣で天城さんは、ムッとした顔でオレをにらみつける。

このあとオレは、移動中の車内で、天城さんにこっぴどく叱られる。「所長は不謹慎だ、営業は遊びではない。くだらない話をするな!」と、

こっぴどく叱られる
こっぴどく叱られる

私の営業力でせっかく話が盛り上がり、これから送客につながるという時にかぎって、所長はチャチャを入れ、話をブチ壊してしまう。だから所長のところは、営業成績が上がらないのだ、とピシャリと叩かれる。

こんな時の天城さんは、前職の所長時代の仕事モードに入り、オレをダメな部下とみたてて、強烈な叱責の言葉を浴びせてくる。

こんな状態の時の天城さんには、ネヲン、とうてい太刀打ちできないので天城さんの気が静まるのを待つ。まあ、なんて仕事熱心な人なんだろ~、また、なんて仕事オンチなんだろう、と思いながら…。

話は少し飛躍するが、転職先で思うように己の力量を発揮できない人は、仕事に対する価値観を以前の会社で身につけたモノサシで測ってしまうからである。特に、大企業で管理職にあった人が転職先で陥りやすい。

それは、大企業のモノサシが絶対であると信じ切っているから、新しい職場には、新しいモノサシがあることに気が付かないのである。

天城さんは、前職の「保険屋」の営業形態、すなわち、押して、押して、押しまくって客の心を無理やりにでも動かして契約にいたる、という道筋が絶対だと信じているので、この流れを断ち切るようなネヲンの言動が許せないのである。

訪問軒数のノルマ

天城さんは、一日の旅行業者訪問件数を20件というノルマをオレに課した。このノルマ達成に対する彼の圧力は強力であった。オレ、当初はその営業姿勢に共感を覚えたが、いまは、チョット!? である。

理由は、地域や旅行業者を問わず、とにかく20件まわればよかったからだ。

今や観光業界は、団体旅行消滅の時代に入っていた。景気のサイクルで、団体旅行が一時的に減少しているのではない。

営業手法は時代に合わせてとるべきである。なのに天城さんは、昔取った杵柄に固執してか、己の営業手法を変えようとはしない。天城さん自分の信じる営業手法に従わないネヲンに対してイライラしていた。

天城さんの胸の内
天城さんの胸の内

ある日の夕刻、オレなりの営業が一段落したので帰途につこうとした。その気配を察知して天城さんが「あと、5件分の資料が残っています」と、いたく不満げにいった。20件というノルマを消化していないので不機嫌なのだ。

「そんなに件数にこだわるのならば一人で勝手に回れば…」と、オレは、彼の圧を跳ね返すように応じた。

「いいですか、所長!」、私の営業方針は種まきなんです。だから一定の件数を回ることに意義があると、生保時代の営業手法が絶対と信じてやまない天城さんの反撃がはじまった。

それと、一人で回らないのは、県下における所長さんの信用をもとに、私の営業力をプラスして成果をあげることだと続けた。

オレも負けずに「所長の信用力を利用して? カッコいいことをいうな、本当はひとりの営業が怖いのだろー」といい返す。

「そんなことはない」と、天城さんも負けてはいない。私は断わられることからはじまる生保業界を生き抜いてきた男です、と反論する。

ネヲン「ええ~」っと、おおげさに反応して、今、なんて言ったのかと、天城さんに聞き返した。

「私は断わられることからはじまる生保業界を生き抜いてきた男です」と、再び力強く言った。

ネヲン「へえ~」っと、小ばかにしたような反応をし「大層な仕事をしてきたような言い方だけど、断わられることのない営業ってあるの?」と聞いた。

「・・・」天城さん、例によって沈黙!

ネヲン、ここぞとばかりに追い打ちをかける「天城さんって、算数が苦手だったの?」と問いかけた。

天城さん、コイツ気がふれたのか? というような目で、沈黙したままネヲンを一瞥した。

天城さんは、(ネヲンの信用力)+(天城さんの営業力)=(営業成績)という、簡単な足し算ができないようだね。

この数式を、数字に置き換えると、50+50=100 だよね!

ということは、ダメなオレが「0点」でも、優秀な天城さんがいれば、答えは「50点」になるはずなのに、それが「0点」とはどういう計算なの?

「天城さん! 実際は、自分が自慢するほどの営業力が無いのと違う? だから、0点になるのじゃないの?」と、ネヲンは剛速球を投げ込んだ。

「違います! 所長、あなたが -50点なのです! だから答えが 0点なんです」と、力強くガツンと打ち返した。

この後、そんなに生保業界がいいというなら、生保のおじちゃんになれば、とは言わずに、オレは、ここで鉾を収めた。この状況は天城さんの土俵だったので、このまま続けるとコテンパンにうちのめされるからである。元生保の所長の力強い管理能力を感じるいっときであった。

営業経路

天城さん、今日は特に機嫌が悪いのか、オレのセールス経路にまで噛みついた。旅館出身のオレは、旅館の営業さんに成果が出るように、その旅館と相性なよさそうな旅行業者を選んで一日の営業コースを選定していた。

怒るゴリラの人形
訳の分からないことをわめき散らす

「あのですね、所長! 他県(よそ)の総案さんは一日の営業コースが決まっていて、いつも順番どおりに営業をするんです」だから、われわれ旅館の者は事前に心の準備ができて、それなりの対応ができるんだとかみついた。

ルートセールスをしないネヲンの営業には、天城さんが熱心に作成している自慢の住所録も上手く活用できないので、その不満も重なって、「所長はいつも適当に回っているじゃないですか! まったくいい加減なんだから」と、不満を爆発させた。

オレ、心の中で、いい加減じゃあねえよ、誰よりも旅館のことを思ってるよと、反発した。

よっぽど機嫌が悪かったのか、さらに、不満をぶつけてきた。「こんな適当な仕事をしているから、所長のところは客が出ないんですよ」と。

「天城さん、お言葉ですが、客がないのは努力云々の問題ではなく、時代のせいだと思うよ。実際に、どこの旅行業者にも客がないみたいだよ」と、ネヲンは反論した。

この頃は、はなやかでにぎやかな団体旅行から、親しいもん同士の個人旅行の時代へと移りつつあった。その現実を認めようとしない天城さんである。

「お客さんが無いわけではありません。私は、カクカクシカジカで元気に頑張っている旅行業者さんを知っています! 団体客は確かに少なくなったが、ゼロになるわけではない。ゼロにならない限りは、所長! あなたは夜も寝ないで頑張んなさい」と、一気にまくしたてた。

「じゃあ天城さん、仮に、最後の一組の団体さんを獲得したからといって、それでどうやってメシを食うんだ!」、さらに「夜寝ないと死んじゃうよ」と、いい返すと、天城さん、自分が不利になると黙りこくる。そして、相手の興奮が下がりきると強烈な反撃をする。その間合いがとても素晴らしい。

今回も、ややあって天城さんは「それでもやるんです!」と、力をこめて強烈なひとことを発した。これは単なる苦し紛れの返答ではない。過去の華々しい実績を信じてやまない者の強さである。

その一言には、なにがなんでもやらせるぞ、という強い意思があった。天城さんは、総案(ネヲン)が営業姿勢さえ改めさせれば、成果が出ると考えていたのだ。

分かったぞ!

実はオレ、生命保険会社の人たちは全員がバリバリの営業力を持っているものと思い込んでいた。が、オレ、分かった。「生命保険会社=営業」というのが、妄信であったことが! そして、天城さんの営業力は並だと、オレ、勝手に判定した。

ヒラメキのポーズ
分かったぞ!

天城さんが、保険会社で階段を昇りつめたは、営業力ではなく、たぐいまれなる部下管理能力だったのだ。特技は「箍(たが)締め」である。体育会系のそれではないが、締め付けの圧力は相当強い。

もしオレが天城さんの部下で、所長(天城さん)のデスクの前に立たされ、ビシッと締め上げられたら、間違いなく「ハイ、心を入れ替えていちからやり直します」と、答えるであろう。

天城さんは、ネヲンをダメ営業マンと判定したのだろう。落ちこぼれの営業マンを見ると、かっての生保時代の記憶がよみがえり、なとかコイツを修正して一人前の戦力にしようとしたくなるのだろ。

一流会社の社員たちは粒ぞろいで品がいい。だから、上司の叱責にさらされればみんな簡単に従う。ネヲンのように、いちいち反発したやつはいなかっただろう。だから天城さん、ネヲンとの付き合いは、そうとうイライラして胃が痛かっただろう。

ネヲンは、天城さんを困らせようとして反発したり逆らったのではない。

なんでもそうであるが、衰退期に入ったものは押しとどめようがない。この時代の観光業界も然りであった。その影響をもろに受けたのが、中小の旅行業者と温泉旅館である。

ネヲンは、こんな時代を乗り切りるヒントが欲しくて抵抗したのである。

しかし、天城さんは、時代の変化を、両手を広げ、腰を落とし身を挺して押しとどめようとするタイプで、いつも「団体客がなければ経営が成り立たない」の一点張りで、現状を変更する気配を一向に示さなかった。

悩める天城さん

「どうしたの? 最近、元気がないんじゃない!?」

「・・・」、天城さんは沈黙のまま。

女将さん
女将さんは厳しい決断を下した

ややして天城さんは、支配人として、いつも陰ひなたなく仕事に励んでいるのに、近ごろ、女将との間にすきま風を感じるのだといった。

「なんだ、そんなことか」と、オレ、簡単に言ってさらに続けた。

「疎んじられるのは、あたり前だよ。女将さんシッカリしてるもの!」と、

このオレのとんでもない言い方に、天城さん、ムッとして黙りこくった。

天城さんは不機嫌になったが、耳はそばだてているようなので、ネヲンは、いつものお礼とばかりに強烈なパンチを繰り出した。

「あのね天城さん! まず、自分は大会社の所長だったから、旅館では支配人が当然だと思ってるでしょう。ここがすれ違いのはじまりなの!」と、

つづけて「さらに悪いことは、前職の所長時代の気持ちのままで、今の仕事をしているでしょう。どお?」と、問うた。

天城さん「前職と変わらぬ働き方」という言葉に反応して、少し元気をとりもどし、力を込めて答えた。

宴会場
宴会場でのお手伝い

「そうですよ。私、夜は宴会場のすべてが終わるまで、朝は、6時に出社して会食場の準備・手伝い、そして、営業の準備としてのリーフレット詰め等、いつも全力で頑張っています」と、

「馬ッ鹿じゃねえの、それは平社員の働き方!」と、ネヲンは、支配人という立場を理解しない天城さんに言い放った。

優秀な平社員が、係長に昇進するのは問題ない。だからといって「優秀な平社員=係長」という方程式は成り立たないのである。

すなわち、優秀な平社員と係長は、まったく違う職務なのである。だから、係長になったら優秀な平社員という殻からから脱皮しなくてはならない。同じように、課長も部長も前職位から生まれ変わらなくてはいけない。

ただ、日本には、年功序列という制度があるので、優秀な平社員のまま上位に昇りつめる可能性がある。そんな組織の行く末は悲惨である。

「あのね~、天城さん! 悩むことはないよ。答えは簡単、平社員に降格してもらえ!」と、ネヲンは唐突にこの問題の結論を言った。だって、支配人としての仕事をしていないのだから当然でしょう、と付け加えて。

天城さん、ネヲンの前ではコイツ嫌なイヤなことを平気でいいやがる、という顔つきで無視を決め込んでいたが、旅館の戻るとあっさりと支配人職を返上した。支配人職を返上するなんて、並の人間にはできない。なにしろ「低いようで高いのがプライド」である。

女将の天城さんに対する期待は、ネヲンの営業に対する天城さんへの期待と同じであった。女将は、天城さんに旅館の屋台骨を背負ってもらいたかったのだが、いつまでたっても下働きばかりで上にあがってこない天城さんを、女将は ”将器にあらず” と判断したのだ。

女将かぎらず女性は恐ろしい。いったん下した答えには容赦ない。

運・不運は、紙一重である。天城さんの入社時には、支配人席が空いていた。このことは天城さんにとってはラッキーだったが、異業種から参入したので、未知の旅館の支配人学を習得する機会を持てなかったアンラッキーもついてきたのだ。

女中さんなどに馬鹿にされているのが、ダメ支配人。

汗水流して駆けずり回っているのは、並の支配人。

何にもしはいにん、と言われるのが名支配人です。

すなわち名支配人とは、出勤は一番遅く、中抜けは一番長く、たまに館内をひとまわりするだけで、板前さんたちの夕飯のご相伴にあずかると、さっさと帰ってしまう、なにもしない支配人です。でも、館内は上手く回っている旅館の支配人である。

この物語は、実直な天城さんのお話であると共に、元大手生命保険会社の所長という肩書に、勝手に反応し、勝手に踊ったネヲンと女将の物語でもあります。

突然のわかれ…

いくつかの季節が過ぎたある年の年末「じつは、今回はお別れの挨拶もかねてお邪魔しました」と、天城さんがお歳暮の三ケ日みかん持ってやって来た。

思いがけないことを聞かされたネヲン、この石頭野郎との付き合いが終わるかと思ったらホッとした。しかし、寂しい気持ちも急激にわきあがった。

「ところで天城さん、最後だから教えて」と、ネヲンはさみしさを紛らわせるかのように話しかけた。「なんで、あんなに住所録に固執したの?」と。

天城さん退職が決まり肩の荷が下りたのか、にっこりと微笑んで昔話をはじめた。実はですね私、生保に営業として入社してからの3年間、成績が全くあがらず落ちこぼれだったんです。と…。

そして、会社に居づらくなった私は、ある時、所長に会社を辞める相談にいったんです。すると所長は、相談の結論は保留のまま「これは、かってオレがこの営業所でセールスをしていた時の資料だ」といって、一冊の住所録を差出し、もう少し頑張って見ろといった。

結果は、あれよあれよという間にトップセールスマンになり、今の私があるんです。だから、「後続の一助になればと願って、私は住所録を書き続けたんです」と結んだ。

「ううん、埃をかぶった住所録か!」ネヲン、このあたりには合点がいった。

そして、天城さんの突然の退職理由は、残りの人生は私に付き合ってと奥さんにいわれたからだそうだ。頑固だが根はやさしい天城さん、奥さんの実家の伊豆に移住して夫婦で花作りをし、第三の人生に挑戦するといった。

マーガレット
晩秋から春に花を咲かせるマーガレット

まずはマーガレット栽培から始めるといった。天城さん、新しい顔をみせて静かに帰っていった。頑張れ! 応援してま~す。

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